コンテンツにスキップ

講話

11月18日 朝礼

おはようございます。
 今日は、私が今ここに持っている「あきらめない」という本を紹介します。

 この本については、中国新聞や朝日新聞でも紹介されていたので、知っている人もいると思います。小学5年生のときに脳腫瘍が見つかり、それを乗り越えたのち、高校1年生のときに大腸がん、高校3年生のときに白血病に侵された山下貴大さんという青年が、自分の18年の人生を振り返って書いたものです。

 この山下貴大さんのことを話す前に、貴大さんのお父さんについて少し話します。お父さんのことはこの本にはほとんど書かれていませんが、実は、お父さんは、広島学院の24期の卒業生で、山下正樹さんという方です。私は24期とは深い関わりがあったので、学院時代の彼のことを今でもよく覚えています。大変まじめで、正義感が強く、学業も優秀で、友達からも信頼されている生徒でした。柔道部やカト研も頑張っていました。弁護士になるという夢を持って東大法学部に進学し、卒業後は実際に弁護士になりました。弁護士としての彼のことは、直接にはあまりよく知りませんが、いつも一番弱い立場の人のために、誠心誠意働く弁護士だったと聞いています。学院時代の彼のことを思えば、きっとその通りだろうと思います。おそらく、自分のことはかなり犠牲にして働いたのでしょう。35歳という若さで亡くなりました。まだ子供は幼かったし、弁護士としてもまだまだ活躍したかったでしょうし、本当に早すぎる死でした。だけど、彼はわずか35歳で死を迎えるまで、たくさんの人を助け、たくさんの人に喜んでもらい、またそのことで彼自身もたくさんの喜びを感じたと思います。父親としても立派だったので、立派な息子さんが育ったのでしょう。

 そして、その息子さんの貴大さんのことですが、学院でいえば、52期生と同級生ということになります。さっきも言ったように、脳腫瘍を乗り越えたのち、今度は大腸がんと白血病と闘いながら、この闘病記を書きました。自分がどういう病気なのかということを、貴大さん自身よくわかっているので、病気による肉体的な苦しみだけでなく、死の恐怖や、もとの健康な体になかなか戻れない絶望感、なぜ自分がこんな目に逢わなければならないのかという怒りや嘆きなども当然あったでしょう。私だったらそういったものでつぶれてしまうかもしれませんが、貴大さんは闘いました。私たちの想像を絶する厳しい闘いだったでしょうが、病気に勝つことをあきらめず、将来への希望を捨てず、そしてずっと看病をしてくれているお母さんへの気遣いを忘れず、前向きに生きます。「つらくて心が折れそうな人が、少しでも希望を持ってくれたら」という思いで、この本を綴ったそうです。そして、10月19日に貴大さんは亡くなりました。

 今週のことば「メメントモリ」は、先週も言ったように「死を想いなさい」という意味です。貴大さんは、死について、身近なものとして何度も真剣に考えたでしょう。そしてその結果、自分のこういう境遇を呪うのではなく、誰かのために今自分ができる何かをしたいという気持ちで、前向きに生きることを考えたと思います。土曜日の追悼式で関根先生が話されたように、死のことを想ったときに前向きに生きることを考えたのだと思います。私は、この本を読んで元気をもらいましたが、同時に、あらためて人の命の重さや尊さを感じました。

 この本は、図書館に置いてもらいますので、ぜひ読んでください。貴大さんの闘病記だけでなく、お母さんの手記、そして主治医から貴大さんへのメッセージも書かれています。そちらの方も、ぜひ読んでもらいたいと思います。