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講話

250630 全校朝礼「平和を実現する人々は、幸い」

 先週、文化祭が終わったと思ったら、今日から期末試験1週間前。 
ジェットコースターのように目まぐるしい1学期の締めくくりですが、どうか一人ひとりが最後まで力を尽くし、充実した夏休みを迎えられるように準備をして下さい。 

 さて、1週間前の6月23日は「沖縄慰霊の日」でした。 
本校でも、伊藤先生の呼びかけに応じた生徒たちが、広島女学院の生徒とともに比治山陸軍墓地にて「平和の集い」を行いました。沖縄戦では、県民の三分の一から四分の一方が犠牲となりました。爆撃や銃撃だけでなく、食料も医療も尽きていく中で、日常という日常がまるごと破壊されていった悲劇でした。 

 そして、来たる8月6日と9日―― 
 広島と長崎に原子爆弾が投下されてから、ちょうど80年という節目を迎えます。 
 「なぜ、私だけが生き残ったのだろう」 
 沖縄、広島、長崎…3つの地域の被害者からよく聞く証言です。一つの戦争が、街を、人を、そして心を打ち砕きました。その傷跡はいまも癒えていません。 

 一方で、今の世界に目を向けると、パレスチナでは子どもたちが瓦礫の中で眠り、イランとアメリカは緊張を高め、ウクライナとロシアの戦争も終息の兆しが見えません。突然、遠い国に話がうつり、ピンとこない人もいるかもしれません。しかし、かつての沖縄も広島も長崎も、ほんの数年前までは、「戦争とは無縁」だと思われていた、ごく普通の暮らしがあった町でした。 

 被爆80年を迎える今年、私たちは改めて問われています。 
「なぜ、あのような惨劇がおこってしまったのか?そして、形と時代を変え、惨劇は繰り返されているのか」 

 今日は個人のレベルでここを考えて欲しいと思っています。もちろん、私たち一人ひとりに、世界の戦争をすぐに止めるには微力かもしれません。 

 でも… 
 ・言葉で誰かを傷つけないこと。 
 ・意見が違う人を、対話の中で尊重すること。 
 ・自分だけの正義を振りかざさないこと。 
 ・自分がアップデートを怠っているのに、文句ばかり言うことをやめること。 
 ・身近な「争い」を、少しずつ「ゆるし」や「理解」に変えていくこと。 
 それなら、今日からでもできます。 
 平和とは、遠くの国で生まれるものではなく、教室で、部活動で、家庭で――「わたし」がどう生きるか、で生まれるものです。広島で学ぶ私たちは、その責任と希望のただ中に生きています。日々の小さな選択の積み重ねを、どうか大切にしてください。 

 今週の言葉は 
 「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイによる福音書5章9節) 

 沖縄慰霊の日から、8月15日に向かうこの時期、何気ない日常の中で、試験前だからこそ、小さな平和を実現することが意識できますように。 

 なお、近いうちに広島教区で行われる平和行事の案内が周知される予定です。 
 被爆80年のこの夏、できるだけ多くの学院生が参加し、過去と未来に向き合い、静かに心を研ぎ澄ます時間を共有してくれることを願っています。