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クラブ等活動報告

祈りの集い

広島学院では、5月(聖母月)と10月(ロザリオの月)に、朝8:10から聖堂で「祈りの集い」が行われています。

職員室前の掲示板。新教皇に選ばれたレオ14世についての掲示もあります


「祈りの集い」は以下のような流れで行われます。

①聖歌を歌う
②主にカト研の生徒や先生方が短いお話をする
③②のお話を振り返って沈黙のうちに振り返る
④②のお話に関連する短いお祈りを皆で捧げる
⑤聖歌を歌う

この集いは、カト研の生徒によって運営されています。当番制で司会、聖歌の演奏を行います。
今は、高2(66期)の生徒が担当しています。朝早いですが、皆がんばって早起きして取り組んでくれています。

今回の祈りの集いを運営してくれている高2の皆さん(今日は土曜日なので大会等で全員揃いませんでした)。
「朝早いですが、祈りの集いに参加する生徒が多いといいなと思います」(D・Uさん)
「祈りの集いの中で、演奏によって流れを切り替えるという気持ちで取り組んでいます」(M・Uさん)


今月の祈りの集いの1日目は、越智神父様による「ジョン万次郎」の冒険のお話でした。
漁に出て不本意ながら遭難してしまったこと。捕鯨船に拾われてホイットフィールド船長という人に出会ったこと。船長の助力でアメリカに渡って猛勉強し、のちに日米の架け橋となったこと。
自分が投げ込まれた状況を冒険にするかどうかは自分次第であるという新たな認識を得ることができました。


高3のNさんのお話

Nさんは念願だった登山部のA隊という精鋭部隊に入り、日々練習を重ねていました。Nさんは、自身があまり足が速いほうではないと認識していました。タイムレースで山を登るとき、お互いを鼓舞するような言葉をかけて励まし合うのですが、調子が悪いときはそれが自分に突き刺さってくるようにNさんは感じていました。しかしこの悩みを先生や保護者に相談するのは何か違うような気がしていたそうです。そんなとき、廊下で高3の先輩にばったり会い、彼は「何か悩みがあったらいつでも聞くよ」と声をかけてくれました。実際に悩みを打ち明けるかどうかは別にして、そんな風に自分のことを気にかけてくれる人がいるという事実に、気持ちがすごく楽になった、と語ってくれました。


高2のNさんのお話

Nさんは、昨年末にチューブロ(中国ブロックカトリック高校生大会)に参加し、そこで出会った仲間たちと今年5月3日の津和野乙女峠まつりの前日に徳佐駅~津和野町まで夜通し歩くという「津和野ミッドナイトウォーキング」を経験しました。長い距離を歩くのはしんどい。しかし友達と一緒だから頑張ることができるのだと改めて感じたそうです。津和野で殉教した人々も、流配されたとき長い距離を歩いて辛かったはずだけれど、きっと彼らのまわりには仲間がいて同じように励まし合っていただろうと考え、歩きながら殉教者の方々に思いを馳せたと語ってくれました。


高2のTさんのお話

Tさんは昨年カンボジア研修に参加して、あいさつしたら打率10割で笑顔で手を合わせて返してくれる優しいカンボジアの人々が大好きになったとのことです。そのときの経験をもとに「仕えるリーダー」とは何かについて導いた彼の考えを語ってくれました。
Tさんは、カンボジアでサンライブラリーという養護施設のようなところで子どもたちと遊んで本当に純粋に楽しかったそうです。そこにたまたま来ていた近所に住むおじさんと話したときに「楽しいですか?」と聞かれたので、楽しいですと返したら「そうです。こうすれば心が幸せになります」と言われたそうです。そのときに雷に打たれたかのような衝撃を受け、おじさんのこの言葉が「仕えるリーダー」の1つの解釈であるとTさんは考えるようになりました。すなわち、仕えるリーダーとは世界を飛び回って身を粉にして困っている人を助けるスーパーマンではなく、もっと単純なことで、率先して目の前の人に声をかけて一緒に(特別なことではない)何かをしてお互いに笑顔になることができる人なのではないか。そして、仕える理由は、心が幸せになるから。自分も相手の笑顔からもらえるものがあるから。だから、あまり深いことは考えずに、ただ目の前にいる相手を笑顔にしたいと思って行動してみるのはどうだろうと提案してくれました。


祈りの集い、まだまだ続きます。朝の光が差し込む静かな聖堂で、自分が知らなかった価値観に出会うことができます。学院生の皆さん、ぜひお越しください。