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講話

6月24日 朝礼

おはようございます。
 先週の土曜日は、オープンスクールがあり、小学生が850人ほど来てくれたということで、大盛況でした。その前2日間は警報が出て家庭学習になったため、本当は生徒の手を借りてオープンスクールの準備をするはずだったのに、先生方だけで、講堂の椅子を1000脚並べ、ついたてを120運び、教室の机と椅子を移動させ、教室や廊下、トイレをはじめ、学校中を掃除して、準備を整えました。HPに写真が載っています。当日は、たくさんの生徒が手伝ってくれました。本当にいい雰囲気で、小学生や保護者も喜んでくださったようです。文化祭も同じですが、こういうときにきちんとおもてなしのできる生徒が、広島学院にはたくさんいます。大変嬉しく思います。参加してくれた生徒は、ご苦労様でした。

 さて、今日は、モラルについて少し話します。
 モラルの低下という言葉をよく耳にします。広島学院の生徒についていえば、君達が、20年、30年前の先輩と比べてどうかと言うと、確かに先週話したように、お叱りの電話は増えましたが、モラルが低下しているとは私は思いません。でも、日本人全体でということになると、モラルが低下しているかもしれません。

 この、モラルの低下について、ある新聞に、こんな意味の記事がありました。「社会に広がるモラルの欠如に嘆き、その解決策として、特に、小中学校での道徳教育に期待する人は少なくない」と。今ここでは、道徳教育について話題にするつもりはありませんが、私がその記事で気になったのは、モラルの欠如の実例として、ゴミの不法投棄が挙げられていたということです。その記事を読んでみます。「ある公園に、炊飯器、古い布団、ソファ、子供の三輪車など、不法投棄されたごみがうず高く積まれていた。役所の公園担当の方が、仕方なく片付けて数週間経つと、今度は、古いタイヤ、自動車のバッテリー、空き缶などが散乱していた。傍らの段ボールの切れ端には『よろしくね』と書かれていた」 そしてこの役所の方は、「こんなことの繰り返しでは、いつかこの国は傾いてしまう」と、怒りが込み上げてきたと、記事にはありました。
 もちろん、こういったゴミは、捨てるのにお金がかかったり、少々面倒だったりするけど、それなりにきちんと捨て方は決まっています。にもかかわらず、こんなことが起こっているということに対して、みんなはどう思いますか。多分、とんでもないことだ、社会人として恥ずかしい、といった気持ちを持ってくれるだろうと思います。

 人が見ていたり監視の目がある所ではきちんとするが、誰も見ていない、何をしてもばれないという状況のときは、いい加減な事をする。もしも世の中がこんな人間ばかりになると、社会は成り立ちません。まだまだ、そんないい加減な人が全体では少ないから、この社会もそれなりに成り立っています。人が見ていても見ていなくても、するべきことはするし、してはいけないことはしないというのは、最低限のルールです。人が見ていなくても、きちんとできるかどうかというところに、その人の大きさ、強さが現れるのだろうと思います。

 ところで、この不法投棄の記事が特に目に留まったのは、実は広島学院でも同じようなことが起こっていると思ったからです。この記事を読んだ数日前だったか、ホールの靴箱に、ジュースのパックや正門の前で配っていた塾や予備校のパンフレット、その他いろんなゴミが詰め込まれていたという話を聞きました。さっきの不法投棄と同じです。監視の目がないと平気でこんなことをするというのは、本当に情けない話です。心当たりのある生徒は、よく反省をしてください。