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講話

2月24日 朝礼

おはようございます。
 先週の朝礼で、STAP細胞の小保方さんの話をしましたが、その後、あの論文に使われた画像に不自然な点があるという指摘があったと、新聞に載っていました。ちょっとしたミスなのか、致命的なミスなのか、まだ分かりませんが、論文の価値がどうなるのか、気になります。

 さて、数時間前にソチオリンピックが閉会しました。2週間、結構楽しんだ人も多いでしょう。私は、競技をほとんど生放送では見ていないので、ハラハラ、ドキドキといったものは、あまり味わっていませんが、それでも印象に残る場面はたくさんありました。その1つが、ジャンプの葛西選手の活躍です。葛西選手は41歳ということで、私から見れば羨ましいほどの若さですが、オリンピックに最初に出たのは1992年というから、もう20年以上も前のことです。本場のヨーロッパではレジェンドという称号で呼ばれているということを、私はオリンピックの少し前に知りました。長い間世界で活躍を続けているということだけでなく、この年齢になってもなお、競技にまじめに一生懸命に取り組む姿勢が、多くの海外の選手から尊敬を集めているのだそうです。個人のメダルのときは笑顔で喜んでいたけど、団体のメダルのときは涙を流していた姿も、何か人柄が表れているようで、印象的でした。

 この葛西選手を含めて、日本は8個のメダルをとりましたが、期待されながらメダルに届かなかった選手も何人かいました。月並みな言い方ですが、一生懸命に頑張っている選手の姿に私たちは感動するのであって、あまりメダル、メダルと周りは騒がない方がいいのかもしれません。だけど、選手にしてみれば、メダルを期待されることがより練習に励む力になるのだろうし、また力にしなければならないと思います。私たちも同じで、期待されれば、その期待を大きな原動力にして、期待に応えることができるよう一層の努力をする、そのようにありたいものです。そういう努力ができれば、結果的に期待通りになったかどうかは、そんなに大きな問題ではないと私は思います。もっともその前に、私たちも結構色々な人から期待されているということに、もっと気付かなければならないかもしれません。

 話は変わりますが、今週のことばは「仕上げ」です。「仕上げ」とは「物事を、最後の段階までし終えること」あるいは「その最後の段階」という意味です。今年度も終わりが近づき、今の学年をきちんと仕上げてもらいたい、そういう気持ちでこの言葉にしました。
 勉強について、クラブやその他色々なことについて、この1年をよく振り返ってもらいたい。一生懸命に取り組んだかどうか、楽しかったかどうか、対人関係はどうだったか、周りの人のことも考えたかどうかなど。もちろん、良かった点も悪かった点も色々とあるでしょう。良かった点については、自信にすればいい。悪かった点については、悔やんでほしい。例えば、目標もなくだらだらと時間を過ごすことが多かったとしたら、時間を大切にするべきだったと後悔しなさい。そのような悔やむ気持ちをしっかりと持つことで、無駄に過ごしてしまった時間にも意味を付けることができます。そして、残りの1カ月はきちんとやる。それが「1年を終える最後の段階」としての仕上げです。

 ちょうど先ほどの葛西選手が初めてオリンピックに出たころ、当時の広島学院の校長は、ロバート・ラッシュ先生という方でしたが、この時期になるとよく朝礼で「終わりよければ全てよし」と言われました。何となくこの言葉は「帳尻さえ合しておけばいい」みたいな響きにも感じるので、私はこの言葉はあまり好きではありませんでした。だけど、今思えば、「終わり良ければ」というのは「最後の仕上げをきちんとすれば」ということでしょう。1年の終わりが近づいたら、その1年を振り返って、良かった点は自信にし、悪かった点はしっかりと悔やむことで、過ごしてきた1年に意味を付ける。そして、その後を最後まできちんとすることで、次の1年につなげる。これが1年の仕上げです。これができれば「終わりよければ全てよし」と言えるのでしょう。
 
 意味のある1年、来年につながる1年にするために、みんなそれぞれに、この1年をうまく仕上げてください。