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講話

3学期終業式

56期生の皆さん、中学卒業おめでとう。
 随分簡素な卒業式ですが、君たちは9年間の義務教育の終了という大きな節目を迎えました。4月からは、自分の意志で学校生活を続けるということになります。中学生から高校生へ、ただ呼び方が変わるだけでなく、中身の方もより高いところを目指すものへと変わっていかなければなりません。その点をしっかりと自覚してください。
 また、広島学院での6年でいうと、君たちはちょうど半分が終わり、折り返し点まで来ました。今まで来た道をもう一度よく振り返り、これからどのように進んでいきたいか、何をしたいのか、そういったこともよく考えておいてください。

 さて、2011年3月11日の東日本大震災から3年が経ちました。亡くなられた方は15884人、依然として行方のわからない方が2636人、そして約26万7千人もの方が、今なお避難生活を強いられているそうです。復興は進んでいるのか進んでいないのか、立場によって色々な見方があるようですが、被災者の方からみると、なかなか復興は進んでいないというのが現状のようです。また、福島第一原発でも、30年はかかるとみられる廃炉に向けた作業が進められていますが、毎日汚染水が400トンずつ増え続け、すでに1000個ものタンクに貯蔵されています。高濃度の汚染水の流出事故も相次いでいて、今後こういった汚染水の処理がどうなっていくのか、廃炉に向けた作業といっても、まだ本当に第一歩の所で大きな課題に直面しているようです。

 被災地がまだまだ深刻な状況にある一方で、被災地から離れた所に住む人々の間では、震災に対する記憶や思いが時間とともに薄れてきているようです。みんなの中にも、実際に東北に行って奉仕活動をしたり、別の形で自分の時間や力を使ったりしている生徒や先生方もいますが、多くの人は直接にはあまり何もできていないかもしれません。だけど、せめて機会あるごとにこの震災を思い出し、亡くなられた方や被災された方の思いや苦労を想像しなければなりません。それは、いつか必ず被災された方々の心に通じるものだと、私は思います。そして現状にも目を向けなければなりません。無関心であってはいけない。復興に対して被災者の多様な意見をどのように集約しているのか。被災者のための復興が別の人の利権がらみになっていないか。難しい問題ですが、みんなも自分なりに現状に目を向け、そういったことを考えてほしい。より良いものを目指すために、ある程度批判的な見方も大切だと思います。

 ところで、放射能汚染で転校を余儀なくされた子どもたちの中に、転校先でいじめにあっているケースがあるという話を何度か聞きました。放射能汚染という言葉が間違った差別意識を生んでいるということもあるかもしれませんが、今までの自分たちの生活の中に突然外から入ってきたその転校生と何かリズムが合わない、その転校生が気に入らない、だから受け入れたくない、そんな気持ちがいじめにつながっているのでしょう。自宅に住めなくなり、転校せざるを得なくなって寂しく辛い思いをしている子どもが、更にいじめで苦しめられているとしたら、本当に心が痛みます。

 こういう話を聞くと、とんでもないことだと思いますが、でも私たちも実は同じようなことをしているかもしれない。何も深く考えずに、気に入らないから、自分とは合わないからと言って、目の前の人を受け入れようとしない、排除しようとする、そんなことがあるかもしれません。自分はいじめているつもりはなくても、その人がいじめられていると感じているとしたら、一般にはそれはいじめです。そして、どんなことがあっても決していじめが正当化されることはありません。私たちも一人ひとり、いじめについてよく振り返ってみなければならないと思います。

 
 2013年度が終わります。この1年、学校として特に大きな問題や事故もなく今日の日を迎えることができたことを、みんなにも感謝したいと思います。特に高2の生徒は、色々な行事や活動の中心学年としてよくやってくれました。それを自信にして、これからは最高学年としての責任を果たしてください。高3がきちんとすると、学校はいい雰囲気になります。その点をよろしく頼みます。そして、他の学年の生徒も、1つ学年が上がることに対して希望や期待を持ってほしい。新たな気持ちで前に進んで行ってもらいたい。そういう意気込みは本当に大切だと、私は思います。先ほど中3の生徒にも言いましたが、新しい学年をどんなふうに過ごしたいか、どんなことをしたいか、春休みにしっかりと考えておいてください。

 4月7日の中学入学式を無事に終え、そして4月8日の始業式に54期生から59期生まで、みんな元気に凛々しい姿でここに集まってくれることを、祈っています。