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講話

10月6日 朝礼

おはようございます。
 先日の体育祭は、閉会式でも言ったように本当にいい体育祭だったと思います。そう思う最大の要因は、高3、高2がきちんとやったということです。そんなのは当たり前のことで、特に褒めるべきことではないと言えばその通りですが、どんなときでも、上級生がしっかりとやるというのは大切なことです。

 その体育祭が終わり、廊下には「務め」という言葉を掲示してもらっています。今朝の祈りの集いで、中3の生徒が、務めとは「一人ひとりに与えられた果たすべき事柄、役割」と話してくれましたが、その通りです。あと1週間で中間試験です。体育祭と文化祭に挟まれた2学期の中間試験は、何となく気持ちが向き難いという人もたくさんいるかもしれませんが、それではだめです。どんな状況でも一生懸命に勉強をしなければならない。それがみんなの務めです。そういう思いでこの言葉をしばらく掲げておきます。

 さて話は変わって、ちょうど1か月ほど前のことになりますが、埼玉県のJR川越駅で、全盲の女子高生が、何者かにひざの裏を蹴られて怪我を負ったという出来事がありました。ニュースでも報道されたので、知っている人も多いでしょう。朝、登校途中、白い杖(はくじょう)を持って、黄色い点字ブロックの上を歩いていたときに、その白杖が前から来た人に当たり、その人が転倒する感触があったそうですが、その直後に後から強く蹴られたということです。この生徒は、それ以前にも白杖が人に当たって、暴力は受けなかったものの心無い言葉をかけられた経験があるとのことでしたし、同じように罵声を浴びせられたことのある視覚障害の方は、たくさんおられるようです。ぶつかったり自転車に踏まれたりして白杖が折られるということも、よくあるのだそうです。

 このニュースを聞いたとき、私はとんでもないことだと憤りを感じました。多くの人もそう感じたでしょう。実は後日、この女子生徒を蹴ったと思われる人が、知的障害を持った人だとわかったそうです。そのためか、この出来事については、その後報道されなくなったようです。私もそれ以上詳しい状況は何もわからないので、この件については、悲しい出来事だったとしか言えません。

 だけど、もし実際に自分がその場にいて、白杖が当たったりそれに躓いて転んだりしたらどんな態度をとるか、その点は考えてみないといけないと思います。点字ブロックの上を歩いていた自分が悪かったと思えるだろうか。暴力をふるったり、罵声を浴びせたりすることはないでしょうが、もしかしたら、ついかっとなって、目の不自由な人に対して、何でこんなに混雑している時間帯に駅の中を歩くのだという気持ちになるかもしない。自分たちと同じように通学するために必要だとわかっていても、人通りのあまり多くない時間帯に歩けば危険が少なくていいのになどということを、もっともらしく考えてしまうかもしれません。でもそれは、自分にとって邪魔になるものは排除したいという考えと同じです。暴力や罵声と根は同じで、あってはならないことです。本当は、みんな一緒になってやっていくことを考えなければならない。だけど私たちは、よく注意しておかないと、色々な場面でこの排除の考え方に陥りやすいものです。ハンディーを負った人に対して、お年寄りに対して、小さな子どもに対して、異文化の人に対して、そしていつもは仲良くしている友達や家族に対しても、そんな気持ちになることがあるかもしれません。みんなにもその点をよく考えてもらいたいと思います。

 視覚障害の方の話に戻りますが、白杖を持っているからと言って、全盲の方だとは限りません。強度の弱視の方や、見える範囲が極端に狭い方など、色々な状態の方がいらっしゃいます。電車やバスの中で、白杖を持ちながら本を読んだりスマートフォンを使ったりする人もいますが、白杖を持たないと歩行が困難であることに変わりはないので、誤解しないでほしいとのことです。そして、白杖をもって戸惑っている方を見かけたら、そばに行って、前から「こんにちは。お手伝いしましょうか」と声をかけてほしいとも聞きました。そういうことができるような勇気を私たちは持ちたいものです。それもまた、私たちの務めだと思います。