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講話

10月27日 朝礼

おはようございます。
 今朝聞いた話ですが、合併室がひどく散らかっているそうです。先週末はきれいだったので、きっとこの連休に文化祭の準備に使った生徒が掃除をせずに帰ったのではないか。心当たりのある者は、後できれいにしておきなさい。

 さて、その文化祭のテーマは「青春の喜び」ということなので、今日は「喜び」ついて少し考えてみいます。
 あらためて「喜び」という言葉の意味を調べてみると、何かいいことがあったときに満足して、うれしく思ったり楽しく感じたりする、そんな状態のことをと言うとあります。実際に最近どんなことに喜びを感じたか、自分自身振り返ってみると、すぐにはなかなか思い出せなかったのですが、そういえば2週間ほど前に近所の方から、苦情ではなくお礼の電話をいただいたことを思い出しました。生徒指導の先生から聞いた話ですが、お母さんが赤ちゃんを抱いてバスに乗るときに、バス停に並んでいた学院の生徒たちが先を譲ってくれたので大変助かりましたというお電話だったそうです。そんなことのできる生徒はたくさんいるだろうとは思いますが、それでもこの話を聞いて、私は嬉しかった。ささやかな喜びを感じました。

 「真善美」という言葉がありますが、人間の心は本来この「真善美」を求めるものだと言われます。「真理」「善いもの」「美しいもの」に触れたとき、確かに私たちは、ささやかなものかもしれませんが、喜びを感じると思います。たとえば、授業を聞いていて深く納得できたときとか、困っているときに親切な言葉をかけられたとき、天気のいい朝にきれいな青空を見たとき、おそらく心地よく感じている。喜びを感じているのです。
 大きな喜びにつながるような出来事はしょっちゅう身の周りに起こるわけではないので、最近どんな喜びがあったのか、すぐには思い出せないかもしれません。ですが、今言った真善美がもたらしてくれる喜びは、その気になって探せば結構身近にたくさんあるものです。それを探そうとする心の余裕があるかないかで、自分の生活そのものも随分違ったものになると思います。

 少し話が変わりますが、人のために何かをしてその人に喜んでもらったときに自分も喜びを感じたという経験は、みんなにもあるでしょう。こういう喜びも大切にしたい。自分のために何かをして得る喜びとか、何かをしてもらって感じる喜びよりも、人に喜んでもらったときに感じる喜びの方が、もっと深い充実感があると思います。色々な奉仕活動などを通してそんな経験をした生徒も、大勢いるでしょう。今度の文化祭でも、お客さんに喜んでもらう喜びをたくさん体験してください。

 新約聖書の中のパウロの手紙に、「いつも喜んでいなさい」という言葉があります。私たちはこの言葉を聞くと、そんなことできるわけがないと言いたくなるかもしれません。パウロは、大きな苦しみを経験しながらも神と出会い、深い信仰のもとに人々にこの言葉を伝えました。私たちも、喜びとはほど遠い困難や試練に直面することもあります。勉強をしていても喜びなんか何もないというときもよくあるかもしれません。もちろん「いつも喜んでいなさい」というのは、困難や試練の中にいるときに、そこから目をそらして、現実逃避をすることではない。だけどその嫌な気持ちに留まったままずっと不平や不満ばかり口にしていても、前には進みません。パウロの「いつも喜んでいなさい」という言葉は、心を敏感にして「喜び」をよく探しなさいということのように、私は思います。どんな所にもちょっとした喜びはたくさんあるし、人に喜んでもらったらもっと深い喜びがある、そしてその喜びがまた困難に立ち向かっていくときに大きな力になるはずだということを、この言葉は教えてくれているように思います。

 文化祭まであと1週間、テーマの通り、色々なことにたくさんの喜びを感じることのできる文化祭になるよう、しっかりと準備をしてください。