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講話

2月2日 朝礼

おはようございます。
 高3は1月いっぱいで本校での授業はすべて終了し、これからはまさに自学自習の毎日となります。そして、その54期に代わって、今日からは55期が実質的に一番上の学年ということになります。自覚をもってしっかりとやってください。

 さて、昨日の朝、みんなもニュースで聞いたでしょうが、イスラム国に拘束されていたジャーナリストの後藤健二さんが殺害されたという報道がありました。その少し前には湯川遥菜さんが殺害されたというニュースもありました。あまりにも残虐な出来事で、ご家族や親しい方々の悲しみや憤りは言葉では表せないものがあると思います。簡単にコメントをしていいようなことではありませんが、一言だけ話をしておきます。
 昨日の新聞によると、イスラム国という過激派組織は、この7か月間に1900人以上を処刑と称して殺害していて、そのうちの1200人近くが一般市民だそうです。今回の2人の日本人の方のことも含め、人の命を軽々しくもてあそびながら自分たちの存在を誇示する過激派組織に、大きな怒りや恐怖を感じます。この組織が今起こしていることに対して、私たちが直接できることは何もないかもしれませんが、何が起こっているのかを知っておかなければなりません。そして、どうしてこのような過激派組織が生まれてくることになったのか、おそらくそこには貧困とか格差、過去の歴史の問題なども複雑に絡んでくるのでしょうが、そういった背景についても学ばないといけない。さらに今後どうなっていくのかもよく見ておかなければなりません。イスラム国の問題に限らず、今世界で起こっている同じような問題は、平和とは何か、幸福とは何かといった問いにも繋がってくるでしょう。みんなも、このように現実に起こっていることについてしっかりと学び、考えてもらいたいと思います。

 話は変わって、今週から廊下には「瞑黙」という言葉を掲示しています。瞑黙は、広島学院では創立以来ずっと大事にしているし、本校の創立以前から、姉妹校の六甲や栄光でも、授業の初めや終わり、また学校生活の節目節目で瞑黙をしています。私の父は六甲の2期生で次の誕生日で90歳になりますが、その父が生徒のときにも、今と同じような瞑黙があったそうです。姉妹校共通の宝だと思います。

 この瞑黙の「瞑」は目を閉じるという意味を表します。モクは「目」という字を書く人もいますが、私は「黙」の字の方が正しいのではないかと思っています。本校の「生活のしおり」やHPも「瞑黙」になっています。広辞苑で調べれば、「瞑目」は「目を閉じること」また「安らかに死ぬこと」と書いてあります。一方、「瞑黙」という言葉は出てきませんが、ただ目を閉じるだけでなく、黙る、沈黙を守らなければならないということでしょう。
 ここでいう沈黙というのは、お喋りをやめて静かにするというだけではなく、しっかりとその静かさを感じるべきものだと私は思います。実際沈黙は、言葉や音楽、あるいは目の前の世界に、深みを与えてくれることがあります。たとえば、素晴らしいスピーチや朗読は、沈黙という間を上手に入れることで聞き手の想像力をかきたて、感動を呼びます。音楽でも、大きな音を響かせて盛り上がった次の瞬間に、すべての音を消して静寂をつくる、その全く音のない何秒間かに深い感動のある名曲はたくさんあります。沈黙は自分の心に何かを訴える力があります。お喋りが上手で周りを楽しませてくれる人は魅力的ですが、沈黙が心に伝えてくれるものもたくさんあるということを、知っておいてください。

 瞑黙の話に戻りますが、瞑黙は沈黙の時間です。声を出さない、音を立てないというだけでなく、あれこれ関係のないことを考えたり思い巡らしたりせずに心を静かにし、これから始まる時間を大切に過ごす準備をする、そのための沈黙です。「いい時間を過ごすことができますように」という祈りの時間といってもいいでしょう。そして、瞑黙にはきちんとした姿勢も不可欠です。目を閉じて顎を引き、背筋をぴんと伸ばして、ふらふらと動かない。そういう美しい形が伴って、本当の瞑黙になります。毎日の学校生活の節目節目で、本当に意味のある沈黙の時間として、瞑黙を大切にしてもらいたいと思います。