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講話

11月9日 朝礼

おはようございます。
 文化祭が終わり、昨日までの3連休も終わり、また今日から落ち着いた日常が始まります。
 今年の文化祭は、何度も話に出てきましたが、「新しい風を吹き込む」というテーマを掲げ、実際それを期待させてくれるいい文化祭だったと思います。だけど、本当に学校に新しい風が吹き込まれるかどうかは、今日からのみんなの生活にかかっています。文化祭で一生懸命にやったその一生懸命さを今度は何に向けていくのか、仲間と協力してみんなに喜んでもらおうと努力したその精神をこれからも色々な場面で発揮できるかどうか。文化祭の経験を通して、自分は少しは成長した、一歩前進した、そう言えるような生活を送ってもらいたいと思います。

 その文化祭の最初に安田菜津紀さんの講演がありました。講演中に居眠りをしている生徒もいたという話を後から聞き、残念な思いもしましたが、講演後には質問も色々と出ていたし、多くの生徒はよく聞いてくれていたことと思います。今日は、この文化講演を聞いて私の思ったところを、少し話します。

 私が、安田さんはすごい人だなと思う1つは、東南アジアでも中東でもアフリカでも、そこに出かけて行って、そこに暮らす人々の中に入って積極的に関わり、そして関わった人たちに受け入れられているという点です。そのために、言葉を勉強し、その地域の歴史や文化なども充分に勉強されているのでしょうが、やはり、自分の心を開いて入って行くから、安田さんもその人たちに受け入れられるのでしょう。私にはかなり難しいことだと、自分では思ってしまいますが、それだけに安田さんの人間としての大きさを感じます。

 そんな安田さんは、フォトジャーナリストという仕事を通して、私たちがなかなか知ることのできない世界の困難な現実を、遠い世界での出来事としてではなく、実際に起こっていることとして私たちに伝え、考えるべき点、学ぶべき点をたくさん提供して下さっています。
 その1つとして、文化講演の中でシリア難民の話が出てきました。この難民の方々は、どこでどのような生活を強いられているのか、そこにたどり着くまでにどんな困難があったのか。そもそもどういう背景があって、国民の半分以上が故郷を離れなければならなくなってしまったのか、それに対して世界の国々はどんな動きをしているかなど、学ばなければならない点はたくさんあります。すでに授業などで色々と学んでいる生徒もいるでしょう。学ぶだけでは何も解決にはならないと言われるかもしれませんが、まずは知るということが大切だという話も、文化講演の中でありました。
 また、日本の難民認定の数は大変少ないという話もありました。実は1970年代の後半、ベトナム戦争やその後の混乱の中で、多くのインドシナ難民が周辺の国々に逃れましたが、当時は日本でも、11000人以上の人々を難民として受け入れました。そんな事実もありましたが、確かに今の日本の難民認定の数は、他の先進国といわれる国々と比較しても、かなり少ない。それはそれで気になりますが、この問題を考えるときには、同時に自分自身の気持ちはどうかということも、よく振り返ってみないといけないと私は思います。自分とは異なる文化や習慣の中で生きている人を、本当に自分の中に受け入れるだけの心の広さを持っているかどうか。難民問題というような大きな問題ではなくもっと身近な問題としても、自分と考え方や行動の仕方が同じような人とは簡単に仲間になるが、そうではない人に対しては、何となく排除しようとしていないか。受け入れたくない、遠ざけたいという気持ちがどこかにあるのではないか。もしかしたら、自分たちがそんな社会をつくっているかもしれません。そうやってなかなか他の人を受け入れられないでいると、安田さんのように自分の世界は広がらないし、いつか自分の立場が少し変わっただけで、今度は自分自身がその中に入って行けない、居場所を見付けられないということにもなってしまうかもしれません。安田さんの講演で、私自身はそんなことも問われているように感じました。

 文化祭の話はこれぐらいにしておきますが、文化祭が終わり、今学期も残すところ1か月余りです。2学期のみんなの中間成績が出たときにそれをざっと見せてもらいましたが、何とかしないとこのままではまずいという生徒が少なからずいました。本人もよく分かっていると思います。まずいという気持ちを勉強をするエネルギーにしていかないと、いつまでたっても状況は変わりません。これから1カ月は、じっくりと落ち着いて勉強に取り組んでもらいたいと思います。