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講話

4月11日 朝礼

おはようございます。
 昨日から広島で開催されているG7の外相会合に合わせて、市内は厳重な警戒態勢が敷かれ、交通も規制されているようです。そのため、今朝はみんな遅刻せずに登校できるのか心配をしていましたが、いつも通りに授業を始めることができそうで、ほっとしています。
 今回の外相会合は被爆地での開催なので、特に核兵器について、持っている国と持っていない国が一緒になって、ある程度踏み込んだメッセージを出すことができるのかどうか、注目したいと思います。また、今日は、各国の外相がそろって平和公園を訪れ、原爆資料館を見学し、原爆慰霊碑に献花をすることになっています。唯一核兵器を使用したことのあるアメリカの現職の国務長官が、原爆の犠牲者の慰霊の行事に出席するのは、初めてのことだそうです。アメリカでは今でも、広島や長崎への原爆投下は、戦争を終わらせ何百万人もの命を救ったという、原爆投下を正当化する理論が一般に支持されていると新聞にありました。これを機会に、こういったことについても何か新しい動きが出てくるのか、多少の期待を持ちながら、よく見ておかなければならないと思います。

 さて、今年度最初の今週の言葉として「出会い」という言葉を廊下に掲げてもらっています。新しく本校に赴任された書道の中村先生に書いていただきました。
 みんなにとって年度の初めは、新たな学年の始まりであり、新たな出会いのときです。出会いといっても、新しい友達との出会いとか初めての先生との出会いといった、人との出会いもあるし、初めて学ぶ科目との出会いとか、新たな環境、新たな経験との出会いといったものもあるでしょう。

 「出会い」は「出て会う」と書くように、自分から前に出て行かないと、ただじっと待っているだけでは、なかなかいい出会いのチャンスは訪れません。さらに「会う」というのは会合の「会」の字を書きますが、「合」の字と違って「相手を認める」という意味があるそうです。
 新しい仲間と出会うためには、自分から積極的に前に出て行って、コミュニケーションを図らないと、ただじっとしていても、出会はないということです。新しい科目との出会いも、始める前から自分には難しいとか興味がないというような否定的な気持ちでいるのではなく、どんな科目なのかよく見てみようといった気持ちで取り組まないと、いい出会いにはなりません。何にしても、いい出会いをしたいという気持ちがないと、出会っていることにすら気付かないかもしれません。
 特に人との出会いについては、自分の方から積極的にといわれても、それが難なく普通にできる人と、そういうことが苦手な人がいます。私自身もどちらかというと苦手な方です。だけど私も経験がありますが、年度初めという一つの始まりの時期は、少し勇気を持って積極的に一歩前に出れば、意外と簡単に新しい仲間作りができるものです。苦手だと思っている人も、いつも同じ仲間の中に留まっているのではなく、少しは新しい仲間を求めて、思い切って自分の殻を突き破ってみたらいいと思います。
 それと、出会いということでもう1つ、来週、姉妹校のアテネオデ・ナガ校から、12人の生徒と2人の先生が、本校にやって来ます。みんな積極的にナガ校生と交流して、お互いにとっていい出会いの場にしてもらいたい。この出会いから得るものは、両校の生徒にとって大きいと思います。

 年度初めに限らず、私たちの生活は、常に何かとの出会いの連続とも言えますが、やはり今のこの時期には、たくさんの出会いの可能性があります。ぜひその気になって、多くの出会いを経験してもらいたい。いい人とか、いいものとの出会いは、必ずみんなを一回りも二回りも大きなものへと成長させてくれます。