コンテンツにスキップ

講話

2学期始業式

おはようございます。
 1か月半の夏休みが終わり、2学期が始まります。みんなの元気そうな姿、日焼けした顔を見ると、それぞれにいい休みを過ごしてくれたのだろうと、ほっとした気持ちになります。

 今年の夏休みは、高校の文化部の大会である「全国高等学校総合文化祭」が、広島県で開催されました。また、運動部の全国大会である「インターハイ」が中国地方5県で開催され、広島県でもサッカーやバスケットなどいくつかの競技が行われました。
 あとで表彰がありますが、登山部は、インターハイで全国3位という立派な成績を収めました。他にも、本校からこの総合文化祭やインターハイに選手として参加した生徒もいるし、また地元開催ということで、実行委員や補助員として大会の運営を支えた生徒もいます。広島県の高校が一緒になって作り上げた大きな行事でしたが、いい大会になったようです。色々な形で参加した生徒の皆さんは、ご苦労様でした。

 さて、今年の夏休みのイベントといえば、やはりリオのオリンピックでしょう。日本の選手の活躍に、国内でも連日盛り上がりを見せていましたが、国とかメダルとは関係なく、感動的な場面もたくさんありました。勝敗の行方には一喜一憂しましたが、競技が終わった後の選手たちの潔い姿、爽やかな姿に、一層心を動かされたように思います。

 そして、今回のオリンピックでもう1つ私にとって印象的だったのが「難民選手団」の結成です。
紛争や迫害など様々な理由で自分の国から他の国に逃れた難民は、今は「自分の国」というものがない境遇にいます。そういった人々が、現在世界で約6600万人いるそうですが、この人々の代表として、今回10人の選手がオリンピックに参加しました。この10人の母国は、シリア、コンゴ民主共和国、エチオピア、南スーダンで、今現在は、ケニア、ベルギー、ドイツ、ルクセンブルク、ブラジルで暮らしているそうです。
 想像を絶する過酷な経験をしてきたこの選手たちが、オリンピックという平和の祭典で「難民選手団」として活躍する姿は、紛争の絶えない世界の現状や難民として苦しんでいる人々の存在を、あらためて世界に示しました。この選手団のことを、リオのオリンピックの1こまとしてしっかりと記憶に留めておかなければならない。多くの人が記憶に留めることで、世界は少しずつでもいい方向に動いていく可能性があると私は思います。

 4年後は東京で開催されるということで、閉会式では東京大会をアピールするセレモニーもありました。国立競技場やエンブレムの問題、また開催費の高騰といったことをよく耳にしますが、お金を掛け贅を尽くして世界に「さすが・・・」と言ってもらえるような大会にしようというのではなく、「質素」「エコロジー」「おもてなし」といった言葉の似合う大会してもらいたいと私は思います。

 話は変わりますが、かつてオリンピックを目指した一流のアスリートの語った言葉として、次のようなことを聞いたことがあります。

「世界を目指すアスリートたちの技術の質や練習量の8割までは、みんなほとんど同じだ。あとの2割をどのようにしたかが、目標達成の明暗を分ける。その2割は、もはや自分との闘い以外に何もない。わがままで怠惰な自分を徹底的に制し、問答無用の鍛錬に次ぐ鍛錬を重ねた者だけが、世界の檜舞台に昇ることができる。」

 怠けたい、手を抜きたいといった弱い心に打ち克って、あと2割の厳しい鍛錬や努力を続けることができるかどうか、それが檜舞台で活躍できるかどうかの差だということでしょう。これは、世界を目指すアスリートだけでなく、何か目標を成し遂げようとするときの私たちにも言えることです。この2割という数字にどんな根拠があるのか分かりませんが、でも、あと2割というのは、何とかできるのではないかという希望を持たせてくれる数字のように、私は感じます。

 今日から始まる2学期は、体育祭や文化祭といった大きな学校行事もあります。勉強だけでなく毎日の様々な活動において、あと2割、自分の弱さと正面から向き合い、それに打ち克って努力を続けようという気概を持ってほしい。それができれば、本当に充実したいい2学期になると思います。