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講話

9月27日 朝礼

おはようございます。
 今学期に入ってずっと全校朝礼で話をする機会がなかったので、今朝は全校朝礼にしてもらいました。

 先週の土曜日は本校の学校説明会があり、アルペ講堂の1階、2階ともほぼ満席になるぐらい、大勢の小学生や保護者が来てくださいました。前半は中学入試に関する説明でしたが、後半は広島学院のことをもっと知っていただきたいということで、何人かの高校生にも保護者や小学生の前で話をしてもらいました。私は3人の高校生の保護者への話を聞きましたが、自分の体験を飾ることなく素直に語るいい話でした。
 学校のことを世間に広く知ってもらうための広報活動は大切で、本校でも力を入れていますが、この広報活動で最も力を発揮するのは生徒の姿です。みんなにはそんな意識はなくても、生徒一人ひとりの日頃の一生懸命な姿勢が、いつか外部の方にも伝わるものです。
 今週土曜日の体育祭もたくさんの方が見に来られるでしょう。あと4日間、一生懸命に準備をしてください。天気が心配されますが、できるときにできることをするしかありません。みんなでいい体育祭を作っていきましょう。

 さて、廊下には「広島東洋カープ祝優勝」が目立っていますが、今学期の初めから「自律」という言葉を掲げてもらっています。「自分を律する」と書く自律です。
 「じりつ」といえば「自ら立つ」と書く「自立」もあります。この立つ方の自立について先に少し話しておくと、こちらの自立は「他からの援助や支配を受けず、自分の力だけで物事を行うこと」をいいます。もちろん自分の力だけといっても、他とは関係なしに勝手に生きることではないし、自分一人で何でもできるということでもありません。人との関係の中で自分自身何をするべきか、自分で考えて自分で結論を出し実行する、これが自立ということです。
 私たちは、自分らしく生きて自己実現を果たすために、自立した人間になりたい。そのためには、自分で自分を律する態度を身に付けなければならない。ということで、ここからは自分を律する方の「自律」についてですが、この「律」とは決まりや定めのことで、「自分で決めたルールに従い、自分の意思により、行動を進めたり制御したりすること」を「自律」といいます。

 ところで、奈良県の大峯山という修験の山で、十数年前に、千日回峰行という仏教の厳しい修行を達成された塩沼亮潤という僧侶がいらっしゃいます。千日回峰行とは、合計で千日間、山の峰や谷を巡って礼拝する修行ですが、大峯山の千日回峰行は想像を絶する過酷な荒行で、大峯山1300年の歴史の中で、達成した人はまだ2人しかいないそうです。
 毎日夜中の11時30分に起床。滝で身を清め、0時30分に白い装束で杖を片手に麓のお堂を出発し、途中、岩をよじ登り、命がけで断崖絶壁を行き来し、百箇所以上ある祠の前では般若心経を唱えながら、片道24km、標高差1350mの山道を往復する。そして夕方の3時30分にお堂に戻り、掃除、洗濯、翌日の準備をして、夜7時に就寝する。そんな生活を、山が開かれている5月の初旬から4ヶ月間、天気が悪くても体調が悪くても1日も休むことは許されず、毎日続ける。それを9年間毎年行い、合計千日間山を巡る。この荒行を、塩沼亮潤氏は達成されました。肉体的にも精神的にも極限まで自分を追い込み、そこで何かを掴みたい、そして得たものを人々に伝えたい、そういう思いでこの行に入る決心をされたのだそうです。

 この塩沼氏のおっしゃっている言葉の一つに「苦しさには強いが、ぬるま湯には弱い、これが人の心」というのがあります。
 私たちは、こんなに厳しい行を成し遂げられた塩沼氏ほどには「苦しさには強い」とはとても言えないかもしれない。しかも塩沼氏をして「ぬるま湯には弱い」と言われると、私たちはどうなるのかと思ってしまいます。でも確かに、私たちは、苦しさ以上にぬるま湯に弱いかもしれません。

 もちろん、疲れを癒し新たな力を得るために、ぬるま湯に浸かることもあっていいと思います。だけど、いつまでも浸かり続けるわけにはいかない。それでは前に進みません。自分の登るべき山に登るために、自分の意思でぬるま湯から出る心の強さ、それが「自律」ということだろうと思います。
 「ぬるま湯には弱い」からこそ、自律ということを意識したい。どういう状況になったらぬるま湯から出るかという律(決まり)を自分の中にしっかりと持ち、あとは自分で決心をして一歩を踏み出すことを心掛けたい。そういう思いで、もうしばらくこの言葉を掲げておきます。