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講話

5月8日 朝礼

おはようございます。
 ゴールデンウイークが終わりました。世の中には、昨日まで9連休という人もいたようです。私たちは暦通りで長い連休というわけではなかったけど、それでもそれぞれにいい休みを過ごしてくれたのではないかと思います。この後は約2か月、大きな学校行事はなく、特別な休みもなく、ほとんど授業とクラブの毎日が続きますが、しっかりとやっていきましょう。

 さて、先週話したように、カトリック教会では今はちょうど復活節に当たるということで、先週に続いてもう少しキリストの受難と復活について考えてみたいと思います。

 聖書の記述を詳しく調べると、イエスが十字架上で亡くなったのは、西暦30年4月7日(金)とか33年4月3日(金)などと考えられるそうです。どれくらい確かなことなのかはよく分かりませんが、イエスは、2000年近く前のこの時期の金曜日の午後1時頃に十字架にかけられ、3時頃に息を引き取り、夕暮れまでに墓に葬られました。
 そして3日目の日曜日の明け方近く、生前のイエスに従っていた女性たちがイエスの遺体を清めるために香料を持って墓に行ったところ、墓の入り口を塞いでいた石はのけられ、イエスの遺体は無くなっていました。その後、彼女たちを含め多くの人が、復活したイエスと出会いました。ただ誰にでも出会いの体験があったというわけではなく、生前のイエスを知り、彼に信頼を寄せていた人たちが中心だったようです。

 ヨハネの福音にある11人の弟子たちとの出会いの場面について、先週の朝礼で話しました。ルカの福音には、11人とは別の2人の弟子が、イエスが十字架上で亡くなったことに失望して、エルサレムから故郷のエマオという11kmほど離れた村へ向かう途中の出来事が描かれています。この2人は多くの弟子と同様に、イエスがイスラエルを解放し、エルサレムを中心とした王国を建設してくれることを期待していたようですが、イエスが殺されてその夢が破れ、がっかりしてエマオに向かう途中で、復活したイエスに出会います。だけど2人は、その人がイエスであることに気付かない。一緒に歩きながら、彼らはエルサレムで起こったがっかりした出来事について話し、イエスは、旧約聖書全体にわたって自分について書いてあることを、彼らに説明します。
 そうやって話が弾むうちにエマオの近くまで来て日も傾き、2人はイエスに今晩は一緒に泊まるように勧めました。そして夕食の席に着いて、イエスがパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いて配った、最後の晩餐と同じしぐさを見て、彼らはその人がイエスだと分かったが、そのときその姿は見えなくなっていた。2人は、道中ずっとイエスの話を聞いて自分たちの心が燃えていたことを思い出し、この体験を11人の弟子に伝えるために、すぐにエルサレムに戻った。ルカの福音には、このようなことが記されています。

 復活したイエスとの出会いを体験した人が500人はいたと、パウロの手紙にありますが、その出会いが2000年前に現実的にどのような形で起こった出来事なのか、私にはよく分かりません。しかし、この弟子たちは、単にイエスの幻を見たとかイエスが夢に出てきたといったこととは全く違う何か深い実存的な出会いの体験があったことは確かだろうと私は思います。
 だから弟子たちは、この出会いの体験によって180度変わりました。情けなく弱く、おそらく私たちと同じような普通の人だった弟子たちが、復活したイエスとの出会いの体験を伝えたいという熱い思いで、使命感を持って、命を懸けて、宣教に出かけます。弟子たちの中に何かが起こったことは事実でしょう。これがキリスト教の始まりです。

 この学校はカトリック校なので、聖書の言葉や祈りなど、キリスト教に関係するものが学校生活の中に出てきます。その原点には、このような復活したキリストとの出会いを体験した弟子たちの熱い思いがあるということを知っておくと、聖書の言葉や祈りも、また違った味わいが出てくると思います。

 それと、ルカの福音に描かれている2人の弟子についてもう一言付け加えておくと、彼らは、生前のイエスが教える福音の意味はよく理解していなかったかもしれないが、イエスの人柄の正しさ、優しさは、よくわかっていた。そこが大切なことだと私は思います。だから、その人がイエスだと分かったときに、彼らはすぐにそのことを伝えるためにエルサレムに引き返しました。ほとんどエマオの近くまで来ていた、しかも日も暮れかかっていたけども、すぐに引き返しました。
 そして、そういった決断力と行動力があって、何でも新しいことは始まるのだと私は思います。