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講話

3学期終業式

60期生の皆さん、中学卒業おめでとう。
 今、君たちに授与した卒業証書は、広島学院中学校の3年間の課程を修了したことと併せて、9年間の義務教育課程を修了したことをも証する証書です。9年間、君たちはそれぞれによく努力をしてきたことと思いますが、ご家族をはじめ多くの方の支えがあってここまで来ることができたということも、忘れないでください。
 そして、4月からは自分の意志と責任で高校生活を始めることになります。中学生から高校生へ、呼び方が変わるだけでなく、中身もより高いところを目指すものへと、変わっていかなければなりません。そのことをよく自覚し、春休みの間に、高校生になる心の準備をしっかりとしておいてください。

 さて、東日本大震災から7年が経ちました。福島第一原発ではこの7年、技術の粋を集め、日本を代表する企業が総出で支えていても、想定を超えるようなことが次々と起こり、安全に廃炉を進めるための準備作業に、予想以上に多くの時間がかかっているようです。
 しかし、ここにきて漸く汚染水の発生量を減らす対策が進み、また、原子炉の内部の状況も徐々に分かってきて、廃炉に向けた本格的な作業にシフトチェンジしつつある段階になったそうです。そんな現場では、毎日5千人もの方々が、なかなか先の見通せない作業に一歩ずつ地道に取り組んでおられます。

 一方、震災のため全国各地で避難生活を余儀なくされている方は、今なお7万3千人余りおられ、その内約2万人は、原則2年の仮住まいであったはずの狭いプレハブの仮設住宅での生活を、続けておられます。また、避難生活を強いられている7万3千人の内のおよそ5万人は、震災前は福島県に住んでおられた方々です。
 国が定めた復興期間は2020年度で終わるそうですが、「復興は進んでいる」と感じている住民の割合は、岩手県84%、宮城県67%に対し、福島県は36%と、認識には大きな差があります。「住居や道路、鉄道など、町の復興はかなり進んでいるが、人々の暮らしやコミュニティーの立て直しは道半ば。福島第一原発事故の傷跡はなお深く、廃炉作業は緒に就いたばかりだ」と、新聞の記事にありました。

 ところで話は変わりますが、今学期は、廊下に掲げる「今週のことば」は1度換えただけで、学期末になってしまいました。話をするタイミングがうまく合わなかったので、こうなりましたが、その今掲げている言葉の最後は「希望を生む」です。

 希望という言葉について、辞書には2つのことが書いてあって、1つは「あることの実現を望み願うこと」、もう1つは「将来に対する明るい見通し」。そのうち2つ目の「将来に対する明るい見通し」という意味の希望は、持ちなさいと言われて誰でもすぐに持てるというものではないでしょう。
 この2つ目の「希望」について、作家の加賀乙彦さんは、ご自身の著書の中で次のように言っています。「希望とは、単に願い望むこととは違う。未来を見据えながら歩いていく過程で、ふっと心にともるもののような気がする」と。そして「希望を持つには、何かを目指していくという自分からの働きかけが必要で、棚ぼたのように希望が落ちてくるのではない」とも言っています。
 希望がなければ、何もできないのではない。何もしなければ、希望は生まれない。何かを始めることで、希望が見えてくるということです。

 3月11日の報道の中に「震災への関心が薄れていき、この先どうなるのか憂慮する」とか「賠償金や支援金をめぐる周囲の心無い言葉に、胸を痛めた」といった被災者自身の声がありました。一方で「人との繋がりが、いつもの日常を取り戻させてくれる」という声もありました。
 状況は悪くても何となく打開策が見えてきたときとか、確信は持てないが状況が良くなりそうな気がするときに、ふっと心に希望がともる。そして、その希望が、更なる行動への推進力になる。これが、私たちも望む「いつもの日常」です。
 世間の無関心や偏見、誤った知識が、被災された方々の心に「ふっと希望がともる」ことを妨げ、「いつもの日常」を奪っているという現実を、私たちはよく知っておかなければならない。そして、この大災害を風化させないという意識をしっかりと持たなければならない。そのことを、あらためて強く感じました。

 2017年度が終わります。一人ひとりにとってこの1年はどんな1年だったか、生き生きと過ごす場面が多かったかどうか、よく振り返ってもらいたい。そして、4月からをどのような1年にしたいのか、春休みにしっかりと考えておいてください。
 4月9日、58期生から63期生までみんな元気にここに集まって、希望をもって新年度を迎えることができるよう祈っています。