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講話

3学期始業式

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 比較的穏やかな天候に恵まれ、みんなそれぞれにいい年末年始を過ごしたことと思います。

 大晦日の朝日新聞の天声人語に、こんなことが書かれていました。「人間には、2通りの時間の感じ方がある。1つは、未来に向かって直線に進んでいく時間。もう1つは、毎年毎年、循環する時間である。」

 「循環する時間」ということで言えば、昨年2018年の世相を表す漢字は「災」でした。ちょうど半年前になりますが、広島にも大きな災害をもたらした西日本豪雨をはじめ、相次ぐ台風の上陸や記録的猛暑、大阪や北海道その他各地を襲った地震など、自然災害の脅威を痛感した一年でした。また人災と言われるものも、例えばスポーツ界でのパワハラや財務省の決裁文書改ざん、医科大学の不正入試など、色々なことが発覚しました。確かに「災」の字に表されるような出来事の多い一年だったと思います。
 今年はできればそういう災いのない穏やかな一年であればと願いたいところですが、それよりも「災い転じて福となす」ということの方が大事かなと思います。このときの「災い」は「禍」を用いるのが正しいのかもしれないけど、身に降りかかった災難に対し、自ら積極的に福となるように取り計らうことです。この言葉の通り、災いや不幸、或いは試練や困難に直面したときに、それを乗り越えて自分の成長の糧にしようというぐらいの心意気を持ちたい。とにかく、また新しく巡ってきたこの一年を、それぞれ去年の教訓をも生かしながら、新しい自分へと成長する一年にしたいものです。

 一方「直線に進んでいく時間」という捉え方をすると、今の世界は、特にグローバル化と更なる技術革新の中にあって、どういう方向に進むべきか、そのために何をするべきか、誰もがよく考えないと、とんでもない方向に進んでいく危うさを感じます。そのために、私たちは学生であっても社会人であっても、様々なことを多様な人々と広く学び続けなければならない。そういう学ぶ力が必要な時代だと言われています。
 
 話は少し変わりますが、新約聖書のヨハネによる福音書の中に「真理はあなたたちを自由にする」という言葉があります。真理とは、調べれば色々な解説が書かれていますが、「本当のこと。普遍的に正しいと認められる事柄」といった意味です。倫理的、宗教的には「正しい生き方」とも辞書にあります。自由とは「強制や命令を受けることなく、自分の思い通りにできること」ですが、もちろんその行動や判断に対する責任は自分が追わなければならない。束縛されないということであって、我儘でいいというのとは、全く違います。
 実はこの聖書の言葉は、国立国会図書館にもギリシア語と日本語で掲げられているのだそうです。ただしギリシア語は聖書の原文のままですが、日本語の方は「真理はあなたたちを自由にする」ではなく「真理がわれらを自由にする」となっているそうです。神の言葉として書かれているのか、人間の言葉として書かれているかの違いでしょう。国会図書館に掲げられている方は「学問的探究によって真理を知り、それによって自由を得ることができる」といった意味でしょうか。これはこれで、私たちにとって大切なことだと思います。
 
 みんなも経験があるでしょうが、ずっと解けなかった問題が解けたときに「わかった」というすっきりとした気持ちになる、これも真理が心を自由にしたと言えると思います。そんな真理の探究の体験をたくさん積むことは大切ですが、答えが1つに定まるような問題ばかりではありません。色々な情報を広く集めながら世界の現実や歴史を正しく見ようとすることも、真理の探究です。文学や芸術に触れて何かを心に感じ取ることも、真理の探究です。「人間とは」とか「生きるとは」といった哲学的、宗教的な問に対しても、本を読んだり人と議論したりして深く考えを巡らすことは、真理の探究です。このように、学問的、知性的探究をはじめ、様々な体験を通して真理を見つけようとすること、また真理を見つける手掛かりを探すことが、学ぶということです。そんな学びを、私たちはずっと続けなければならない。それによって、間違った固定観念や偏見、差別、果てしない欲望などの束縛から解放され、自由を得ることができるのだと思います。

 新しい年の始まりに当たって、去年の反省を生かしながらまた新しい自分へと成長していこうという心意気を持つこと、そして真理を探究するための学びをしっかりとやっていくことを、みんなに期待したい。いい一年にしていきましょう。