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講話

1月21日 朝礼

おはようございます。
 昨日、一昨日とセンター試験がありました。高3の生徒は、今日は自己採点のために2時間目から登校することになっています。いよいよ受験の始まった58期生と浪人生たちが、最後まで志望校を目指して精一杯努力を続けることができるよう応援をしたいと思います。
 また、今度の日曜日は本校の中学入試があります。今年の志願者数は644名で減少傾向が続いていますが、この受験生たちもまた入試の当日に今までの努力の成果を存分に発揮してもらいたいと思います。みんなも、試験会場の準備作業などにしっかりと協力してください。

 さて、廊下にはヨハネによる福音書に出てくる「真理はあなたたちを自由にする」という言葉を掲げてもらっています。始業式でもこの言葉を紹介し、みんなは学校で真理を知るために学ぶのだという話をしました。
 この真理を知るということから私たちを遠ざけるものの1つに、フェイクニュースがあります。ローマ教皇フランシスコは「フェイクニュースが広がるのを食い止めて真理を伝える責任を、私たちはみんな持っているということを自覚する必要がある」と説いておられます。

 フェイクニュースとは、事実ではない情報や報道のことです。そういったものはいつの時代にもありましたが、今はネット上で発信・拡散されるということで、その情報量の多さと拡散するスピードの速さにより誰もが間違った判断をさせられる可能性があり、社会の脅威となりうるものです。
 アメリカの大統領選挙で「ローマ教皇がトランプ支持を表明した」とか「ヒラリー・クリントンがイスラム過激派組織に武器を供与した」といったフェイクニュースが流されたというのは、よく知られている話です。こういったフェイクニュースが、選挙結果に影響を与えたとも言われています。
 日本でも、災害時や何か大きな事件、イベントがあるときは、必ずと言っていいほどどこからともなくフェイクニュースが現れて猛スピードで拡散していくことがいまや日常茶飯事となっていると、ある記事に書いてありました。

 フェイクニュースの中には、人が困るのを見て楽しむ愉快犯的なデマもありますが、プロパガンダやヘイトを目的として発信されるものや、クリック数やシェア数を増やしてより多くの広告収入を得るために作られているものがたくさんあります。
 それらはもっともらしく見えるように発信される。そして社会にある固定観念や偏見に訴えかけ、読み手の憎悪や蔑み、不安、挫折といった感情に付け込もうとする。だから、その内容は根拠がないにもかかわらず人々の注目を集め、誰でもそれを信じ、さらに拡散してしまう可能性を持っています。
 このまま放っておけば、社会は何を信じていいのかがわからないような状態に陥りかねないということで、現在、世界各地でフェイクニュースを見分けるためのプロジェクトが多数立ち上がっているそうです。AIにフェイクニュースを見分けさせる研究も進められているそうです。

 ただ、私たち自身も、ネット上には誤った情報が多いという認識を持たないといけない。その情報の信ぴょう性を見極めろと言われても、そこには限界はありますが、そうではあってもこれはフェイクかもしれないという雰囲気を感じ取る感覚は持ちたいものです。さっきも言った偏見とか差別、憎悪といった感情に付け込もうとする情報は危ない。

 教皇フランシスコは、真理についてこのように言っておられます。「キリスト教における真理は、物事を判断し、真偽を確かめることに関する概念的な存在だけを示すものではない。また、不明瞭なものに光を当てることだけを指すのでもない。真理とは、連帯、信頼といった意味を含み、倒れないように支えとなってくれるもののことである」と。
 そして「真理を識別するためには、それが他の人とより善いものを目指すための前向きで建設的な繋がりをもたらすものか、それとも、孤立と分裂と敵対をもたらすものかを、見極めなければならない。」ともおっしゃっています。
 「真理はあなたたちを自由にする」という言葉の「自由」かどうかが「真理」かどうかのポイントになるのではないか。本当の自由とは何かということについても、よく考えてみなければならないと思います。