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講話

2月18日 朝礼

おはようございます。
 今年は、日本中でインフルエンザが例年以上に流行しました。本校でも高1が2日間、中3が2日間、中2が5日間、そして中1が3日間、学年閉鎖になりましたが、先週になってようやく校内では収束してきました。先日テレビで放送していましたが、インフルエンザに感染した人が咳をすると、10万のウイルスが空気中に放出される。くしゃみをすると、200万のウイルスが放出される。そしてそれらは45分間、空気中を漂うのだそうです。感染予防として大切なのは、手洗い、うがい、そして水分補給をして喉を潤すことや、歯磨きなど口腔ケアだと聞きました。まだまだ油断せずに、感染予防に努めてください。

 話は変わって、先日、高須台にお住まいの方から、東門のバス停でのできごとについてお便りをいただきました。この方の娘さんが夕方バス停に行くと、たくさんの生徒が階段の下まで並んでいたので、バスに乗れるか不安な気持ちで階段を下りて行ったそうです。そうすると、下にいた生徒が「前に行っていいよ」と声をかけてくれたので、遠慮しながら少し階段を上ると、他の生徒も「一番前に行っていいよ」とさらに声をかけてくれたとのことです。娘さんはみんなに親切にしてもらい、とても喜んでいたとありました。
 こういうちょっとした気遣いをしようと思えばできる生徒はたくさんいると思いますが、実際に現場で、これらの生徒のように行動できるかどうかが問われます。手紙の最後にこう書いてくださっています。「これからも地域の人を感心させる素敵な学生でいてください。ありがとうございました」と。みんな、ちょっとした気遣いをいつも当たり前のように行動に移せる生徒であってもらいたいと思います。

 さて、今週から廊下には「わたしはまことのぶどうの木」というヨハネの福音書に出てくるイエスの言葉を掲げてもらっています。3月2日の卒業式での聖書朗読がこの言葉の箇所なので、これを選びました。この言葉だけではよく意味が分からないでしょうが、ヨハネ福音書でイエスはこのように語っています。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」と。
 この豊かに実を結ぶとはどういうことか。それは、高い地位に就いたり名声を得たり富を得るということとは違います。聖書の別の個所で、パウロは「結ばれる実は、愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」と言っています。そういった実が結ばれている状態を、心が豊かであるというのでしょう。さっきのバス停の生徒たちも、あのときこんな心の豊かさを持っていたのだと思います。

 私たちは、体を養うために食べ物が必要であり、知性を発達させるために知識や技術を習得します。それらはもちろん大切なことだけど、それだけでは足りない。心を豊かにするために、心にも栄養が必要です。意味のある人生を生きていくために、心のよりどころ、存在の基盤となるものがほしい。それは、心に栄養を与えてくれるものに繋がっていることで得られるものだと思います。繋がるというのは、難しく考えなくてもいい。無くてはならないものとして大切にするというようなことです。そして繋がっていれば、栄養分は自然とまわってきます。
 現実の世界には、色々なぶどうの木があります。さっきも言った「高い地位に就く」というぶどうの木や「名声や富を得る」というぶどうの木もあります。この学校は、そういったぶどうの木と繋がろうとはしない。イエズス会の学校として、イエスという名の「まことのぶどうの木」にいつも繋がろうとしている学校です。みんなも、そんな学校に繋がっていてほしい。一人ひとりに与えられた能力を十分に伸ばし、それを他者のために生かす人間になるためには、私たちは心も豊かに成長していかなければならない。そのためにしっかりと学校と繋がり、心にも必要な栄養分を取って豊かな実を結んでもらいたいと思います。