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講話

5月7日 朝礼

おはようございます。
 10連休が終わり、時代は平成から令和に変わりました。平成元年というと、みんなにとっては生まれる十何年も前のことになりますが、当時の世界に目を向けると、ベルリンの壁の崩壊により東西冷戦の時代が終わり、グローバリズムの時代が始まりました。日本はその頃はバブルの絶頂期でしたが、ほどなくバブルがはじけ、経済成長の面では、戦後長らく続いた右肩上がりの時代が終わりました。「本当の豊かさとは何か」ということを考えさせられる時代になったともいえると思います。このように30年前、平成の始まりは、ちょうど日本でも世界でも時代の大きな転換期になりました。令和の時代の始まりが後にどのように語られるのかは分かりませんが、よい時代の始まりになってくれればと思います。
 もっとも、元号が変わったからといって、自分の置かれている状況は別に何も変わらないというのが、本当のところかもしれません。大切なのは、何かが変わることを期待するのではなく、自分が変わろうとすることです。1つの時代の節目を迎え、新しい時代をどう生きていきたいのか、静かに考えてみるといいと思います。

 さて、聖書の中に「新しい葡萄酒は新しい革袋に」という言葉があります。マタイ、マルコ、ルカの3つの福音書に共通して出てくる言葉で、ユダヤ教の中のファリサイ派と呼ばれている人々とイエスとの論争の場面でイエスが語った言葉です。ファリサイ派の人たちは、ユダヤ教の掟である律法を忠実に守れば神様に認められて救われると信じて、律法の厳格な実行に励み、またそんな自分たちに誇りを持っていました。律法に定められた断食もきちんと守っている彼らが、社会から疎まれている人たちと食卓を囲んでいるイエスやその弟子たちを見て、何故断食をしないのかと尋ねた、それに対するイエスの答えに出てくるのが「新しい葡萄酒は、新しい革袋に入れるものだ」という言葉です。
 葡萄酒は、この時代のこの地方の普通の飲み物でした。それを山羊や羊の皮で作った袋に入れて、持ち歩いていたようです。葡萄酒は、ぶどうに含まれる糖が酵母菌によってアルコールと二酸化炭素に分解されてできます。この過程を発酵ということは、中学生でも知っているでしょう。ここでいう「新しい葡萄酒」とは、今の時代には売られていませんが、これから本格的に発酵を始める葡萄酒のことです。炭酸ガスが発生するので、革袋に入れると袋は膨張します。古くて弾力性の失われた革袋だと破れてしまうので、新しい革袋に入れなければならないということです。
 福音書の話に戻すと、断食はもともと自らの罪を省みて悔い改めるための苦行として、律法に定められていましたが、ファリサイ派の人たちにとっては、自分は律法を守っているということを周りの人にアピールする自己満足のためのものになっていたようです。このように、律法を文字通りに守ることを何よりも大切にし、それができない者を蔑んでいた人々が「古い革袋」であり、律法を形式的に守ることよりも「隣人を愛する」という律法の精神に従って行動することの方が大切だというイエスの教えが「新しい葡萄酒」です。そして、その教えを受け入れるためには、今までの自分のやり方にとらわれない弾力性を持った「新しい革袋」にならなければならないと教えています。

 この言葉は「新しい時代には、それに応じた新しい発想や方法が必要だ」というような意味で、一般にも広く使われています。グローバル化やテクノロジーの進歩により社会を取り巻く状況の変化が大きい今の時代を生きる私たちにとって、考えなければならない言葉です。
 もちろん何でも新しいものを取り入れればいいという訳ではない。伝統を大切にしたり初心に戻ったりすることも必要です。だけど、何となく居心地がいいからといってずっと古い革袋のままでいると、なかなか新しいものを受け入れることは難しいし、新しいものに対して否定的になってしまいます。新しい時代を迎え、自分にとっていい時代にしていくためにも、「新しい葡萄酒は新しい革袋に」という言葉を意識してみるといいと思います。
 それと特にみんなのような若い人たちは、新しい革袋というよりも、新しい葡萄酒であってもらいたいとも思います。活発に発酵している「新しい葡萄酒」です。「より善い自分に成長する」という発酵を、新しい時代になって一層確実に続けてもらいたいと思います。