コンテンツにスキップ

講話

11月11日 朝礼

おはようございます。
 文化祭が終わり、その後の連休も終わり、今学期もあと1か月余りとなりました。期末試験まで、落ち着いて勉強に励んでもらいたいと思います。

 毎年11月になるとみんなに話していることですが、今月は、カトリック教会では亡くなった方のために特別に祈りを捧げる「死者の月」と定められています。カトリックの信仰では、亡くなった方の魂は天国に迎えられ、地上に生きる私たちと神様の間を取り持ってくださる。だから、死者のために祈るというのは、その方の魂が天国で安らかに憩いますようにと冥福を祈るという意味もありますが、亡くなった方と心の交わりを持つという意味もあります。その交わりによって、私たちはより豊かな心で生きることができると、カトリック教会は教えています。
 特に自分と関わりの深かった人の死に接すると、多くの人は心から冥福を祈ろうという気持ちになるし、お墓の前で手を合わせて祈ります。こうやって亡くなった方のために祈っているうちに、その人との思い出が心に浮かんできたり、その人の分までしっかりと生きていこうという力をもらったりすることがあります。これが、亡くなった方との心の交わりだと私は思います。

 その「死者の月」に合わせて、今週の土曜日に広島学院関係物故者追悼式があります。この学校と関わりのあった方々ですでにこの世を去った人たちのご冥福を祈るとともに、この方々から受け継いだ広島学院をしっかりと引き継いでいくという決意を新たにする式典です。みんなにとっては、広島学院の生徒として相応しい生活を送りますという決意を新たにするということです。こういう方々の関わりがあったから今の広島学院があり、私たちがここで学ぶことができるのだということを心に留め、きちんとした態度で追悼式に参列してください。
 そして、物故者追悼式を、死ということについて自分なりに考えてみる機会にもしてもらいたい。死について考えると言って、死ぬ瞬間はどんなのだろうとか、死んだらどうなるのだろうかとか、そんなことだけを考えていても何もわからないし、恐ろしくなるばかりかもしれません。そういった死に対する恐怖を感じることも大切だと思いますが、本当に考えなければならないことは、いつか必ず死を迎えるときが来るからこそ、それまでをどのように生きたいのかということです。

 今週から廊下には「memento mori(メメント・モリ)」というラテン語の言葉を掲げてもらっています。「自分はいつか必ず死ぬということを忘れるな」という意味です。「自分自身に死というものを突き付けることによって、どう生きるのかを考えなさい」というメッセージです。
 例えば「いつ死ぬかわからないのだから、とにかく快楽を求めて、今を精一杯楽しんで生きよう」と考える人もいるかもしれません。「現世での富や名声は死の前では虚しいものであり、そういった欲望に溺れることなく、心の豊かさを求めて慎ましく生きよう」という人もいるでしょう。聖書が教えるのは、後者の生き方です。いずれにしても、死は本当にいつどんな形で突然やってくるかわからないし、決してそれを避けて通ることはできません。それまで自分はどのように生きたいのかを考えるきっかけを与えてくれるのが「メメント・モリ(自分はいつか必ず死ぬということを忘れるな)」という言葉です。

 アップルの創業者で8年前に亡くなったスティーブ・ジョブズは、スタンフォード大学の卒業式でメメント・モリについてこんなことを語っています。
 「重大な決断を下すときに最も頼りになるのは、自分はいつか必ず死ぬ身だと知っていることです。なぜなら、周囲からの期待、プライド、失敗や恥をかくことへの恐怖などは、死の前では何の意味もなさなくなるからです。死を覚悟して生きれば、何かを失うということを心配せずに済みます。そこに残るのは、本当に大事なものだけです」と。

 私は若い頃、死というものを自分のこととして考えることから逃げていました。怖いからです。だけどスティーブ・ジョブズは、メメント・モリを、自分にとって本当に良い生き方を実践するためのポジティブな言葉として捉えていたのだと思います。
 追悼式を迎えるに当たり、みんなもメメント・モリという言葉を意識してみてはどうか。そして、自分の掛け替えのない命を今までどのように使ってきたか、これからどのように使いたいのか、どんなことに使いたいのか、自分なりに考えてもらえればと思います。