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講話

7月20日 朝礼

おはようございます。
 月曜日が2週続けて雨だったので、3週間ぶりの全校朝礼になります。

 6月1日に学校が再開されてから7週間が過ぎました。新型コロナウイルス感染症が拡大する前と同じような学校生活という訳にはいきませんが、それでもここまでみんなは、それなりによく頑張ってきたと思います。ただ、中には春先の長期間の休校や、その他コロナ禍の影響もあって、なかなか勉強に身が入らないとか、基本的な生活習慣が乱れてしまっているなどという生徒もいるかもしれません。だけど、コロナだから仕方がないなどと甘いことを言ってはおれません。日本中の多くの中学生、高校生が、そんな状況の中で一生懸命にやっています。
 勉強にしても他のことにしても、目的や目標を持っている人は、休校が長引いたとしても、或いはマスクをつけているのが不快であったとしても、そういった環境には左右されずに、するべきことを自分でやろうと努力をします。目的や目標を持っていない人は、ただやらされているだけなので、何かいつもと違う事態になればそれを言い訳にして逃げようとします。そういう自分を何とかしたいと思う人は、とにかく近い目標でも遠い目標でも定めなさい。期末試験まであと10日ですが、これも近い目標の1つです。今回は中間試験がなかった分、範囲が広くなります。しっかりと準備をしてください。

 さて、廊下には6月初めからずっと「仕える者になりなさい」という聖書の言葉を掲げてもらっています。今年の中1の入学式の聖書朗読にあった言葉です。福音書によると、イエスと活動を共にする12人の弟子たちは、時に、自分たちの中で誰が一番偉いかといった議論をし、自分を他の人よりも高い地位につけてほしいと考えたようです。名誉が欲しい、皆から認められたい、そういう思いがあったのかもしれません。そんな弟子たちを見て「あなた方の中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい」とイエスは言われました。
 ここでいう「偉くなる」とは、高い地位につくこと。リーダーになること。「仕える者」という言葉の語源は、大きな家に雇われて主人や家族の食卓の世話をする給仕係のことだったそうです。たくさんの雇人を抱えて給仕してもらえるような高い地位の人が「偉い人」なのではなく、高い地位であってもみんなのために給仕をできる人が「偉い人」だということでしょう。「権力をふるって自分の利益のために人を動かすのではなく、人の幸せのために自分が動く、そんなリーダーになりなさい」というような意味だと思います。
 イエスは、「偉くなりたい」などと望んではいけないとは言っていません。偉くなりたいのであれば、偉い者のあるべき心や姿勢を持ちなさいと教えています。広島学院は、将来、与えられた才能を存分に発揮して、それぞれの場でリーダーとしての役割を果たす人間の育成を目指しています。だからみんなには「リーダーになる」ことを自分の将来の目標にしてもらいたい。そして、そのために一生懸命に勉強をしてもらいたいし、色々なことに挑戦してもらいたい。と同時に、どんなリーダーになるべきかについても、よく考えなければなりません。この学校が創立以来求めているリーダー像は、今廊下に掲げている「仕える者になりなさい」という言葉に表されている、そのことをしっかりと学んでもらいたいと思います。
 今日の話は以上です。この後は教室に入って、担任の先生の健康チェックを受けてください。