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講話

1月31日 朝礼

 おはようございます。
 今日で1月が終わりますが、ちょうど年が明けた頃から広がり始めたオミクロン株の感染の勢いが止まりません。広島県のまん延防止等重点措置は、20日間延長されることになりました。いつ、誰が、どこで感染してもおかしくない厳しい状況ですが、今のオミクロン株は重症化し難く、風邪とあまり変わらないのではないかと警戒を緩める向きもあるように感じます。しかし、重症化し、亡くなる人もいるし、軽症や無症状で済んだとしても、後遺症がどうなるかについてはよく分かっていません。倦怠感が何カ月も残る可能性があり、風邪とは全く異なるとのことです。校内でも感染を広げないよう、引き続きしっかりと対策をとらなければなりません。
 保健所によれば、校内に感染者が出たとしても、感染した人も周りの人も不織布のマスクをきちんと着用していれば、感染が広がる恐れはほとんどなく、濃厚接触には当たらないそうです。昼食のときも、みんなが前を向いて黙って食べていれば問題はないとのことですが、心配なのは放課後です。友達と向かい合って飲食をしたり、マスクを外して喋ったりすることのないよう、よく注意してください。それと、教室の換気も大切です。休憩時間には必ず窓を大きく開けて、空気を入れ替えてください。また、毎朝の検温や健康観察をきちんと行い、少しの体調の変化にも気を留めてもらいたい。そして、風邪の症状があれば登校を控えてください。

 さて、今週から廊下には「若者よ、あなたに言う。起きなさい」という言葉を掲げてもらっています。授業中に居眠りをしている生徒にはぜひこの言葉を掛けたいと思いますが、それはさておき、これはルカの福音書に出てくるイエスの言葉です。一人息子を亡くして埋葬に向かう母親の深く悲しむ姿を見たイエスが、母親を憐れに思い、棺に向かって「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と声を掛け、息子を生き返らせました。いわゆる奇蹟物語ですが、亡くなった人を蘇らせたということに拘ると、私はどんな話をしたらいいのかよく分かりません。だけど「死」を「自分らしくは生きていない」というように考えると、私たちとも深い関わりのある言葉だと私は思います

 例えば、困難にぶつかるとすぐにやる気をなくし、無気力になるとすれば、それは望ましい生き方ではない。辛いことから逃げ、何にも挑戦せずに成り行きに任せているとすれば、それも望ましい生き方ではない。いつも自分のことだけを考え、周りの人のことを見ようとしないのも、望ましい生き方ではない。他にも、こうあるべきと思う生き方とはかなり違っていても、それでいい、自分とはこのような者だ、仕方がないというような思いで日々過ごしているのであれば、それは本来の自分らしい生き方ではありません。
 フランシスコ教皇は、2年前のある若者の集会で、そのような、活力や夢、熱意、希望、おおらかさなどを失ったまま過ごしている若者たちに、このイエスの言葉を用いて、命を取り戻すように励ましておられます。
 「若者よ」と強調するのは、みんなのような若者はまだまだこれから感性を磨き、才能を伸ばし、可能性を広げて、自分の進むべき道を探します。そんな若者に、世界の変革の担い手になってもらいたいと期待するからです。
 「あなたに言う」と語りかけるのは、外ならぬ自分自身に言われている言葉として受け取ってもらいたいからです。
 「起きなさい」とは、「立ち上がりなさい」「目を覚ましなさい」ということだけでなく、「夢を持ちなさい」「果敢に挑戦しなさい」「世界を変えようとしなさい」というような意味もあると、フランシスコ教皇は仰っています。

 体や心が疲れたときには、しっかりと休んで元気を取り戻さなければならない。だけど、いつまでも活力や夢、熱意、希望、おおらかさなどを失ったままでは、それは本来の自分らしい生き方ではありません。そんなときには、みんなも「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と喝を入れてもらう必要があります。
 別にこの言葉に限らず、誰かの言葉や何かの体験をきっかけにして、私たちは誰でも、それまでの自分とは違う新しい自分に生まれ変わるということがあります。大きな生まれ変わりではなく、ほんの小さな生まれ変わりでいい。そういう「生まれ変わり」を繰り返すことで、あるべき自分らしい自分へと成長しくものです。この言葉をそのような「生まれ変わり」を促す励ましの言葉として、心に留めておいてもらいたいと思います。