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講話

11月16日 朝礼

おはようございます。
 今朝は高1の生徒がいませんが、延期されていた修学旅行で、今、長崎に行っています。

 11月も半分が過ぎました。毎年この時期に話していることですが、11月は、カトリック教会では、亡くなられ方のために特別に祈りを捧げる「死者の月」とされています。これに合わせて、本校では今週の土曜日に、広島学院関係物故者追悼式があります。広島学院と関わりのあった方々で、すでにこの世を去った人たちを偲び、ご冥福をお祈りするとともに、こういう方々の関わりがあったから今の広島学院があり、私たちがここで学ぶことができるのだということを、あらためて心に留めるための式典です。
 ただ今年はコロナ対策のため、ご遺族はお招きできません。生徒も、高校生全員と中学各組の級長が学校を代表して参列し、他の中学生は家庭学習日とします。参列する生徒も家庭学習の生徒も、追悼式の意味をよく理解し、相応しい態度でこの日を過ごしてください。
 そして、追悼式の行われるこの時期に「自分もいつか必ず死を迎えるときがくる」ということをあらためて意識し、それまでをどのように生きるべきかを考えてみてもらいたいと思います。

 そのことに関連して、私が最近読んだある本から引用しながら少し話をします。「がんになった緩和ケア医が語る『残り2年』の生き方、考え方」という本で、新聞でも取り上げられていました。著者は関本剛さん。実は姉妹校の六甲学院の卒業生で、現在44歳という働き盛りの、緩和ケアを専門とするお医者さんです。
 緩和ケアとは、みんなもよく知っていると思いますが、末期のがん等の重い病気を抱える患者さんや患者さんを支える家族の体や心の痛みを和らげ、取り除くことによって、死の時を迎えるまでを、楽に前向きに生きるためのサポートをする仕事です。
 著者の関本さんは、その緩和ケアの専門医として、今まで1000人以上の患者さんの最期を献身的に看取ってきました。その関本さんが、昨年の10月に不調を感じて検査をした結果、ステージ4の肺がんで、脳にも多数転移しているということが分かりました。ご自身も医師なので、自分の肺や脳の画像を見てすぐに、どれほど深刻な病状かを把握されました。
 「完全に治癒する可能性はなく、生存期間中央値は2年。脳腫瘍が今後大きくなると、性格の急激な変化や意識障害の発生、認知機能の低下などにより、自分の意志とは無関係に周囲を苦しませる可能性がある。」このような病状を知ったときには、ご本人もご家族も打ちひしがれ、泣き崩れたそうです。だけどその後すぐに、「人生最期のテーマは『この先、自分はどう生きるべきなのか』という単純だが切実な問題である」という思いに至ったそうです。
 そして、死生学の権威で今年9月にお亡くなりになった上智大学のアルフォンス・デーケン神父が仰った「人間は他の動物と違って、どんなに肉体が衰えても、死ぬその瞬間まで、精神的に成長し続けることができる。それが人間の尊厳である。」という言葉を思い出されたそうです。
 関本さんは、自分にはまだ残された時間があり、ある部分では成長することができるというデーケン神父の言葉を励みにして、医師と患者の両方の立場から、がんという病気と向き合っておられます。一人でも多くのがんを生きる患者さんの役に立てばという思いで、この本も執筆されました。今まで緩和ケア医として患者さんに求めてきた「人生のよりよい最期」を、自分自身が体現しなければならないという強い思いを持っておられます。

 関本さんは、そんなご自身の今の心境について、「人生の残り時間が有限であることを意識し、残された時間を精一杯自分らしく生きる。言葉にすると平凡ではあるが、そのことに尽きる」と仰っています。
 
 「自分らしさ」とは何かと聞かれても、具体的に答えるのは難しいかもしれません。「自分らしさとは、自分の価値観を大切にしたありのままの自分が表れている状態のことである。」とある本にありました。私たちはそれぞれに自分らしさを持っています。それは、別に人と比較するものではないし、人からの評価を期待するものでもありません。だけど少なくとも、自分の中では「自分らしさ」を肯定的に捉えたい。そんな自分らしさを見つけたい。そして自分らしく生きることができれば、そういう生き方が、より肯定的に捉えることのできる自分らしさを作っていくのではないかと私は思います。
 私たちも人生の残り時間は有限ですが、普段はそれを意識することはあまり無いかもしれません。だけど時にはそれを意識し、「自分らしく生きる」ということについて考えてみるのは、よりよく生きるために大切なことだと思います。