先日、本校の美術部と書道部の展覧会である「学院展」に足を運びました。
私は、美術館巡りが好きなのですが(ド素人です)、今回の学院展は、今まで訪れたことのあるどの展覧会や美術館よりも見どころが多く、心動かされるものでした。それは、部員の皆さん一人ひとりの解説、そして私が知っている皆さんの普段の姿。それらが結びつき、多くの「物語」を感じさせてくれたからです。
特に印象に残った作品をいくつか紹介します。
●会場に入って真っ先に目に飛び込んできた、輝くような大作の書がありました。書いた生徒は、この半年の間、ずっと書道教室にこもってこの作品に向き合っていたそうです。直前に顧問の中村先生から、もっと大きなサイズで書くことを勧められ、その挑戦も見事に受け止めました。 本人は「一部の字が中央からずれているんです」と謙遜していましたが、この書に懸ける迫力と意気込みが、ビリビリと伝わってくる作品でした。
●ある高1の生徒は、「成功したとしても、謙虚さを忘れるな」という意味合いの書を書き上げていました。彼が、この言葉の意味を自身の中で何度もかみしめながら、一文字一文字書き上げている姿が目に浮かんでくるようで、その誠実さに、何ともすがすがしい気持ちになりました。
●普段はとても活発なイメージの強い生徒の陶芸作品もありました。本人に話を聞くと、「普段、自分は『動』で動くことが多いので、あえて『静』の時間を作りたかった」と陶芸を始めた理由を教えてくれました。 作品の顔料の垂れ方が、本人にとって偶然にも非常に良い塩梅になったと嬉しそうに話してくれましたが、彼が「静」の時間の中で自分の感性と向き合っている姿に、新たな一面を見た気がしました。
●機関車の写真と風景画を複数展示している生徒もいました。機関車が持つ様々な「黒」の色合いへのこだわり、細部への探求心、そして心が奪われた瞬間を切り取った構図。 その作品群からは、彼が自分の日常の中で、機関車という対象を通して「美しさ」や「はっとした瞬間」を粘り強く追い求めている情熱が伝わってきました。
これらはほんの一例です。 素晴らしい作品の陰には、いつも熱心にご指導くださっている中村先生、中島先生の尊いお仕事があります。そして何より、真摯に作品に向き合った部員の皆さんの姿があります。
私たちは今、たくさんの情報に埋もれる日常を生きています。そんな時代だからこそ、彼らが一つの作品に対して見せた「じっくりと向き合う姿」、そして「理想を追い求める精神的な気高さ」は、本当に尊いものだと感じました。そして、私も一人の大人として、教員として、彼らのように日々成長し続けなければならないと、心を新たにしました。
さて、今月11月は、カトリック教会では「死者の月」とされています。そして今週の15日(土)には、広島学院関係物故者追悼式が行われます。
今週のことばは「メメント・モリ」。 これはラテン語で「死を思え」、あるいは「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味ですが、ただ死を恐れよというメッセージではありません。「この世の命が有限であることを思い出し、今、この瞬間を神様の前で正しく生きよ」という、私たちを励ます言葉です。
この「メメント・モリ」のメッセージを思ったとき、私は、学院展に挑んだ生徒の皆さんの姿と重なるものを感じました。彼らが、限られた時間の中で、じっくりと作品と向き合い、自分自身と向き合い、理想を追い求めたあの姿は、まさに「今、この瞬間を大切に生きる」という精神の現れだったのではないでしょうか。
追悼式では、旅立たれた方々に思いを馳せるとともに、命の有限さを知る私たち自身が、「今、この瞬間」をどう大切に生きるべきか、静かに考える時間にしてほしい、と思っています。