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20260427全校朝礼「沈黙」

 この週末は、定期演奏会や春の公式戦など、多くの生徒が忙しく過ごしたことと思います。私はもちろん、全ての活動を見ることができたわけではありませんが、一瞬に賭ける皆さんの純粋な姿を目の当たりにし、とても勇気づけられた思いを持ちました。すっかり過ごしやすい季節にもなり、一週間を気持ちよくスタートできそうです。 

 さて、私たち教員は、授業中に問いかけをした後、教室が「シーン」と静まり返ると、実は内心、結構ドキドキしています。 
 例えば、歴史の授業でこんな問いを投げかけたとしましょう。 
 「秦の始皇帝は、長らく続いた戦乱を終わらせ、文字や通貨、経済まで見事に統一した。しかし、秦はわずか15年ほどで滅び、その後の漢王朝は400年も続く安定を築いた。……さて、この差は一体どこにあると思う?」 
 ここで教室が沈黙に包まれます。 
 教員側は「あれ、質問の仕方が悪かったかな」「質問が難しすぎたかな?」「『キングダム』はあんなに人気なのに、僕の授業は人気ないのかな……」と、ついつい弱気になったり、焦ったりしてしまいます。 
 しかし、実はこの「沈黙」こそが、皆さんにとって大切な時間であると私は思っています。声には出さなくても、皆さんの頭の中では対話が始まっているはずです。 
 「始皇帝は法家思想で国を厳しく管理した。それは国を守るには強固な手段だったはずだけど、なぜ短命だったのか」 「逆に劉邦は、秦が遠ざけた儒家思想を重んじたな……。そこに先生の問いの『ツボ』があるんじゃないか」 
 言葉や表情には出さないけれど、じっと踏みとどまって、情報を自分のものとして掘り下げる。この「沈黙の深掘り」こそが、真の学びの瞬間の一つであると思います 

 皆さんの学院生活は、授業、部活動、委員会、行事の準備と、本当に多忙です。常に何かに反応し、反射的に物事をこなす毎日かもしれません。しかし、効率だけでパッパッパと物事をこなし続けると、心は次第にすり減り、思考は浅いところで止まってしまいます。 
 かつて長らく広島学院で教鞭をとられていた大庭先生は、よく私にこうおっしゃいました。 「阿部ちゃん、いつも忙しそうに見えるね。でもね、『忙しい』という漢字をよく眺めてごらん。『心を亡くす』と書くんだよ」 
 この言葉に、私はたびたびハッとさせられました。 
 次から次へと業務に追われ、時間をやり過ごす中で、自分がいま何に幸せを感じ、何を喜びとしているのか。自分の「心」を置き去りにしていないだろうか。そう自問自答したものです。 

 広島学院には、授業前後の「瞑黙」、そして朝礼後の「沈黙」という伝統があります。 
 集会が終われば、すぐに友達と解放感に浸ってお喋りしたくなる気持ちは、私にもよく分かります。 
 それでも、本校が70年以上にわたってこの習慣を大切にしてきたのには、理由があります。 忙しい生活の中であえて立ち止まり、五感を研ぎ澄ませて呼吸を整える。先ほど聞いた話を自分の中に落とし込み、味わう。この「自分と向き合うプロセス」こそが、皆さんが精神的に大人へと成長するための重要なポイントなのです。 

 これから、ナガ高校の来校や公式戦、演奏会、そして文化祭の準備と、学校全体が非常に活発で忙しい時期に入ります。だからこそ、日々の静寂を大切にしてください。問いに対して、あるいは自分自身に対して、じっくりと向き合う静かな時間が、皆さんの生活を、そして広島学院という学校をより豊かなものにしてくれるはずです。 

 沈黙や瞑黙は、祈りです。 

 広島学院のルールは、式典終了後、教室に入るまで沈黙を保つことです。静かに自分と対話しながら、各学年解散してください。