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講話

2月22日 朝礼

 おはようございます。
 先週の水曜日に、日本でも新型コロナウイルスのワクチン接種が始まりました。イギリスやアメリカからは約2カ月遅れのスタートになり、また今現在、世界の70以上の国や地域で既に1億5千万人以上が、少なくとも1回目の接種を受けているそうです。日本はかなり後れを取りましたが、安全性を重視し、海外で治験を終えたワクチンではあっても国内でも治験を行うことにしたために、時間がかかったとのことです。
 ワクチン接種がコロナ感染症の終息の鍵になるということなので、大いに期待をしていますが、ただテレビ等で報道されているように、海外のワクチンに頼っているため、必要な量を安定的に確保できるのかどうか、不安もあるようです。こういう話を聞くと、日本の国産のワクチン開発がどうなっているのかが気になります。実際に製薬会社や大学では研究開発が進められていて、治験が始まっているものもあるけども、まだ時間はかかり、実用化は来年以降になる可能性もあるのだそうです。
 こういった新しいワクチンの開発は、必要になったからといって急にできるものではなく、平時から基礎研究を重ねておかないといけないのだけど、日本はその基礎研究があまり進んでいないというのが実情のようです。今後、環境破壊等により、未知のウイルスによる感染症はますます流行しやすくなると考えられ、それに対応するワクチン開発は極めて重要な課題になります。みんなの中で興味関心と志のある人は、こういった研究の道に進むことも考えてみてはどうかと思います。

 さて今朝は、廊下に掲げている言葉のうち、「感謝」について少し話したいと思います。私たちの生活は、直接的にも間接的にも、多くの人や大自然の恵みに支えられています。謙虚に振り返ればそれを実感します。そういったことに感謝の気持ちを抱くというのは、人として当然の生き方でしょう。だけど私もそうですが、日頃、なかなかたくさんの力に支えられて生きているということに気付かない。物質的に恵まれ、便利であることを当たり前のように享受している環境で生きていると、行き届かないことへの不平、不満はあっても、感謝の気持ちには縁遠くなってしまっているかもしれません。
 私自身を振り返ると、感謝の気持ちのない自分は、傲慢であったり、自己中心的であったり、或いは色々なことに否定的であったりして、実に嫌な自分です。自分で自分を不幸にしているように思います。足りないことへの不平や不満ではなく、足りていることへの喜びや幸せを感じるような日々を過ごしたものです。

 今、コロナ禍で世界中が困難な状態にある中で、何か気に障ることがあればすぐに苛立ち、相手を攻撃したり、誹謗中傷を浴びせたりするといったことを見聞きします。だけど一方で、現場の最前線で働く医療従事者の方々に対してだけでなく、他にも色々な場面で「感謝の言葉」もよく耳にします。思い通りにできないことへの不平や不満ではなく、制約がある中でも、たくさんの力に支えられながら何とか出来る範囲のことができることへの感謝の言葉です。こういう言葉を聞くと、気持ちが和らぐ同時に、自分もそうでなければと思います。

 「ありがとう」を漢字で書いた「有り難い」をその漢字通りの意味にとると、「有り難い」の反対語は「当たり前」であると聞いたことがあります。確かに何でも当たり前と思えば、「ありがとう」という感謝の言葉はなかなか出てこないかもしれません。
 私たちの周りの色々な出来事は、コロナ禍であってもなくても、本当はそんなに「当たり前」でなく「有り難い」ことが多いのだと思います。そのことに気付いて、感謝の気持ちを忘れないように心掛けていきたい。それが自分自身の喜びや幸せに繋がるのだと思います。
 そして誰かにお世話になったら、その感謝の気持ちを、相手にきちんと伝えたい。そうやって、人と人との良い関係は、できていきます。これも心掛けたいと思います。