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講話

20250526 全校朝礼

 おはようございます。最初に一つ、お知らせです。
 今週の火・水の2日間、フィリピンの首都にあるイエズス会の姉妹校、アテネオ=デ=マニラ高校から生徒21名と先生2名が本校を訪れます。「え、またアテネオ?」と思った人も多いかもしれません。前回はナガ、今回はマニラです。距離的には、尾道と東京くらい離れています。
 広島学院は、イエズス会の世界2,500校のネットワークの一員です。今回は中3・高1を中心に交流しますが、皆さん全体であたたかく迎えてください。なお、歓迎セレモニーは明日、中間体操の時間に前庭で行います。

 さて、中間試験が終わりました。すっきりしてる人、もやもやしてる人、いろいろでしょう。

 今週の言葉は「慰めと荒み(なぐさめとすさみ)」。これはイエズス会の創立者・イグナチオ・デ・ロヨラが、500年前から語っていた心の動き・作用を示すことばです。

 「慰め」は、心が温かく広がる状態。部活の後の達成感、友達との笑いや祈りの中の安心感。
 …たとえば、部活の後に「疲れたけど、今日の練習はよかったな」って思えるようなとき。
 あるいは、静かに祈って「何があっても、大丈夫だ」と思えたとき。
 先週スピーチしてくれた高3柔道部の谷口君や今週末までの公式戦で引退した高3運動部の皆さんのような状態は確実に「慰め」です。

 「荒み」は、逆に心が縮こまり、「どうせ無理」「全部投げ出したい」と思ってしまう状態。
 …たとえば、テストの点数を見て「将来もうダメかもしれん」と5秒で自己評価を下げてしまうとき。
 「どうせダメだ」「全部投げ出したい」「誰にもわかってもらえない」と感じるとき。

 イグナチオは言いました。
 「荒みのときに、大きな決断をしてはならない。」
 …部活辞めようかな。この授業、自分は切って捨ててしまおうかな。謝らなきゃいけないけど、知らんぷりしてようかな。こうした判断は「荒み」の時にはしてはいけない、ということです。

 そしてこうもいいました。
 「慰めのときに、次に備えなさい。」
 …やり切ったと思っていた模試がやはり、結構いい感じだった。けど、やはりこの分野が自分の苦手分野だな。いい試合をして勝てたけど、ここの部分はもっと自分はできるはずだ!とか。

 もし今ちょっとしんどいと感じている人がいたら、無理にがんばらなくていい。それは、人の心の動きとして、当たり前の反応です。しっかり寝て、美味しいごはんを食べて、友達と笑ってください。
 心は、スマホのバッテリーみたいなものです。充電が切れても、それは壊れたわけじゃない。少し時間をかけて、つなぎ直してやれば、また動き出す力がある。

 新しい1週間が始まります。この朝礼が、みなさんの「慰め」のスイッチのひとつになれば幸いです。新しい1週間。自分にも周りにもやさしく過ごせますように。