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講話

4月19日 朝礼

 おはようございます。
 新年度が始まって2週間ほど経ちましたが、みんなはいいスタートを切ったでしょうか。同じようなことの繰り返しの多い毎日の中で、新年度の始まりとか、或いはお正月や自分の誕生日といった節目のときは、何か新しい目標を立てたり新しいことを始めたりするチャンスです。始業式でも少し話しましたが、新たな自分へと変わるチャンスです。
 まずは、自分はこうありたい、こうあるべきだと思う理想の姿を想像してほしい。そしてそれを目指してもらいたい。まだ新年度は始まったばかりです。何も変わらずこの2週間が過ぎたという人は、新たな気持ちでスタートをし直してもらいたいと思います。

 さて、廊下には「門を叩け。さらば開かれん」というマタイによる福音書に出てくる言葉を掲げてもらっています。これは今年の中学の入学式で朗読された「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、みつかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」というイエスの言葉の最後の部分です。
 みんなにとっては、「毎日学校に来てただ何となく授業を受け、クラブ活動に参加し、一日が過ぎていくというのではなく、充実した学校生活を真剣に求めなさい。そのチャンスは、授業やクラブだけでなく、学校のあらゆる活動の中にあります。それを一生懸命に探しなさい。そしてそれを見つけたら、積極的に門を叩きなさい。」そんなメッセージでしょうか。
 そうすれば必ず与えられ、見つかり、開かれると、この福音書には書かれています。実際には、与えられない、見つからない、開かれないこともいくらでもあるだろうと言いたくなるかもしれません。だけどそれを言う前に、私たちは本当に真剣に求めているか、一生懸命に探しているか、積極的に門をたたいているか、振り返ってみる必要があると私は思います。

 どんなことでも、ただ与えられるのを待っていても、見つかるのを待っていても、何も変わりません。必要なものは自分で求め、探さないといけない。そして廊下にも掲示しているように、門を叩かないといけない。門をたたきなさいとは、挑戦しなさいということでしょう。困難だと思えることにも、果敢に挑むということです。
 「挑戦」に対して消極的な気持ちになることが誰にでもあるかもしれません。そこには「どうせ自分には無理だ。苦労して失敗しても意味がない。失敗をするぐらいなら、別に現状のままでいい」というような思いがあるのではないか。私もそんな経験がいくらでもあります。
 しかしよく言われるように、私たちは失敗から多くを学び、失敗によって成長し、失敗がいつか成功に繋がります。現状のままでいいと思ったとしても、周りは変わっていくので、実は現状のままというのは、自分にとっては後退を意味することになるかもしれません。

 先週の朝礼で何人かの生徒を表彰しました。彼らは、科学の甲子園や地理オリンピックに積極的に挑戦し、素晴らしい結果を残しました。だけどその結果もさることながら、自ら挑戦したということがもっと素晴らしいと私は思います。実際に挑戦しないと、何の結果も得られません。たとえ期待通りの結果にはならなかったとしても、挑戦することで、何か違った世界が見えてくるものです。それが「さらば開かれん」ということだと思います。
 こういった大会に参加しようというのも挑戦だし、自分で目標を決めてそれに向かって行こうとするのも挑戦です。学校には様々な挑戦の機会があります。どんなことに挑戦するかは人それぞれですが、自分なりの挑戦を続けている生徒は、みんなの中にもたくさんいます。そんな周りの姿に刺激を受けながら、一人一人しっかりと門を叩いてもらいたいと思います。