コンテンツにスキップ

講話

3学期終業式

57期生の皆さん、中学卒業おめでとう。

 今、君たちに授与した卒業証書は、広島学院中学校の課程を修了したことと併せて、9年間の義務教育課程を修了したことをも証明する証書です。9年間色々なことがあったと思いますが、ご家族をはじめ多くの方に支えられて今日の日を迎えることができたのだということを、忘れないでください。
 そして4月からは、自分の意志で高校生活を始めることになります。中学生から高校生へただ呼び方が変わるだけでなく、中身も変わらないといけない。より高いところを目指す決意を新たにして、今日の卒業証書を受け取ってください。

 さて、2011年3月11日の東日本大震災から4年が経ちました。テレビや新聞によると、今なお23万人もの方が避難生活をしており、そのうち9万人近くの人は、本来は仮の住まいであったはずの狭い仮設住宅での生活を強いられています。新しい生活を始めることができても、収入が元のようには戻らず、将来への不安を抱えたままの人もたくさんおられます。震災が原因でずっと体や心の不調に苦しんでいる方もいらっしゃいます。一方、町の復旧は進んでも復興は進まないという報道もありました。インフラは整備されても、人々の活気のある暮らしはなかなか戻らないというのが現実のようです。
 いつも言うことですが、私たちはこのような現状に無関心であってはいけない。この学校からも毎年夏に高校生の有志がボランティアに参加してくれていますが、そういった直接的な関わりができなくても、現状を知らないといけない。そして、何かを感じ、それについてよく考えないといけない。それが、犠牲になった方々に対する私たちの務めだと思います。

 その現実に起こっていることに1つとして、「多額の補償金を受け取っておきながらいつまでも被害者面をするな」といった罵声を浴びせられたことがあるという被災者の話を聞きました。仮設住宅に住んでいる人でしたが、そんな目で見られているかと思うとどこにも出かけられない、ますます心が萎えるとおっしゃっています。罵声を浴びせた側にも何かがあったのかもしれませんが、それにしてもこういうことが現実に起こっているというのは、本当に悲しいことです。

 ところで、この方も言われた「心が萎える」の「萎える」というのは、草花でいうと「しおれる」ことで、「まだぽきんと折れずに済んでいる」とも考えることができると、作家の五木寛之さんは言っています。そして、水分が足りないからしおれてしまうのだけど、では現代社会に不足している湿り気とは一体何かというと、それは「情」であるとも言っています。情というのは、一般には「物事に感じて起こる色々な心の動き」のことですが、特にここでは「相手を思いやる心、まごころ」のことでしょう。愛情、温情、友情といった言葉が思い浮かびます。

 震災の後、多くの人が、困っている人に手を差し伸べるとか、みんなで助け合うといった、人と人との関係を大切にする心をごく普通の当たり前のこととして示しました。例えば、避難所で、4人家族なのに「分け合って食べます」と言って3個しかおにぎりを受け取らない家族がいました。「われ先にと奪い合えば何でも足りなくなってしまうが、分け合うと余るものです」という言葉も聞きました。
 確かに、人が本来持っているはずの「情」というものが、多くの人の疲れた心に潤いを与えたと思います。そして、そういう話を見たり聞いたりした私たちは、そこから大切なことをたくさん学びました。去年の夏、広島を襲った土砂災害の時にも、色々な所でこの学びが生かされていたと思います。私たちもこの学んだことを忘れないようにしたい。そして、人の心に潤いをもたらす「情」の厚い人間でありたい。今年も3月11日を迎え、そのようなことを私は感じていました。

 2014年度が終わります。みんなそれぞれに、この1年がどんな1年だったかを、よく振り返ってもらいたい。色々な体験があったと思うが、それを通してどんなことに気付き、何を得たのか、人との関係はどうであったのか、自分のことばかり考えていなかったか、そういったことをきちんとおさえることで、体験は経験になり、これからの自分に生かしていくことができます。そして、4月からは、どんなことを大切にし、何を目標に掲げてやっていくのか、それについてもしっかりと考えておいてください。

 4月8日の始業式に、みんなが、新しい学年への期待感を持って、元気な姿でここに集まってくれることを願っています。