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講話

12月7日 朝礼

おはようございます。
 今学期も終わりが近づいてきました。カトリック教会ではちょうど今の時期、クリスマスの4週間前の週の日曜日からクリスマスまでの期間を「待降節」、英語で「アドベント」といいます。キリストの降誕、すなわち誕生を待つ期間という意味ですが、もう1つ、キリストの再臨を待つという意味もあるそうです。キリストの再臨とは、世の終わりの日に、キリストが人々を神の国に導くため再び地上に降りてくるというキリスト教の教えのことを言います。その時がいつになるのかはわからないが、いつであっても神の国に招いてもらえるように、しっかりと準備をしてその時を待たなければならない、待降節はそのことを思い出すという意味もあるということです。待降節が始まると、常緑樹の枝や葉を丸く編んでその上に4本のローソクを立てたアドベントリースや、イエスの誕生の場面を表す馬小屋などが飾られます。学院の聖堂の前にも飾ってあるので見てください。

 待降節の話はこれくらいにしておきますが、とにかく自分にとって本当に大切なもの、光となるものの到来を、希望をもって待つということです。そして「待つ」ということよりも「希望を持って」というところに、待降節の大切な意味があるのだろうと私は思います。

 この希望ということについて、ある司祭は著書の中で、「希望というのは、未来に向かって力が湧いてくる、前向きな力を感じさせる、そんな言葉である」そして「未来への希望は、現在をよりよく生きていくためのものである」とおっしゃっています。確かに、未来への希望を持つことができれば、今をよりよく生きることができるだろうと、私も思います。
 ただそうは言っても、実際には今の社会はなかなか未来への希望を持つというのが難しい、むしろ絶望的な気持ちになってしまうことが多いかもしれません。先日の創立記念式典で、浦元先生は、今の地球が抱えるグローバルな課題として、紛争、搾取、格差について話をされました。このままいけば2060年の日本はどんな社会かという話もありました。そういった部分だけを聞いていると、特に若い人たちはとても未来に希望が見いだせないかもしれない。
 しかしよく探せば、希望をもたらせてくれるような小さい光は色々なところにあるともおっしゃっていました。そして、men for others, with others という生き方をしている人がその光を灯しているというお話でした。講演の後で先生に聞いた話では、イエズス会学校で講演をするから men for others という言葉を出したのではなく、先生自身が以前からこの言葉がキーワードだと思っていたら、イエズス会学校も同じ言葉を使っていたとのことでした。これを聞いて、私は何となく嬉しい気持ちになりました。

 話が変わりますが、先週の土曜日、サンフレッチェが日本一になりました。スタジアムに応援に行って歓喜の瞬間を味わった生徒もいることと思います。みんなも知っているように、サンフレッチェは、毎年、資金力のあるチームに主力選手を引き抜かれながらも強さを維持している、そこに同じ広島の人間として誇りを感じます。そして私たちも、あれが足りない、これが不足しているなどと泣き言を言わずに、やるべきことを地道にしっかりとやっていれば、その努力が実る時がくるという希望を感じさせてくれます。

 もうすぐ期末試験が始まります。さすがに試験の前ということで、みんなは普段以上によく勉強をしていることと思いますが、どうせやっても駄目だろうなどと言うのではなく、一生懸命にやればそれなりの結果が出るはずだという希望を持ってしっかりとやってもらいたい。これが、みんなにとっての待降節の務めです。