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講話

6月27日 朝礼

おはようございます。
 高校2年生は、昨日から沖縄へ修学旅行に行っています。去年まで高校修学旅行は2月に行っていましたが、色々な事情があって、今年からこの時期に変更しました。こちらは今週も梅雨空の鬱陶しい日が続きそうですが、沖縄は梅雨が明け、いい季節になっていると思います。

 さて今朝は、目が見えず耳が聞こえない全盲ろうという障がいをもっておられ、今は東大教授をされている福島智さんという方が、ご自身の著書や対談の中で語っておられる「コミュニケーション」について、考えてみたいと思います。

 福島先生は十数年前から時々話題になり、本を書いたりテレビに出演されたりしているので、知っている人もいるでしょう。1962年に生まれ、3歳で右目を、9歳で左目を失明し、さらに14歳の頃には右耳が、そして18歳のときに左耳が聞こえなくなりました。その頃のことについて、ある方との対談の中で、こうおっしゃっています。

 「9歳で完全に失明したとき、できなくなったことは無数にあったが、まだ聴覚があったので、音でこの世界と繋がればいいと考えたし、実際に耳から入る情報はたくさんあった。世界との関わり方が特別になったということで、普通の人とは違ったユニークな関わり方になったのは事実だが、ひどく孤独を感じることはなかった。だけど徐々に音が聞こえなくなってくる過程では『世界が遠のいていく。自分自身がこの世界から消えていく』という孤独で不気味な感覚が強くなっていった。何も見えず何も聞こえないというのは、いつまでも続く静かな夜の世界のようで、言葉では表現できない孤独と絶望の世界だった。」

 18歳で全盲ろう者になったとき「なぜ自分だけこんな目に合わなければならないのか」といったことを当然考えたそうです。だけど先生は、普段から「私以外の何か大いなるものが、私に命を与えたのだろう」という感覚を持っておられたそうで、「大いなるものから与えられた命であれば、その命には意味がある。命に意味があるのなら、それに付随する苦悩にも意味があるはずだ。今のこの苦悩は、自分の将来を輝かせるために必要なものなのだ」というように、気持ちを整理していったそうです。
 とは言っても、実際には辛かった。特に、見えない・聞こえないということ自体よりも、それによって他者とのコミュニケーションができなくなってしまったということが辛かったそうです。そのことについて、このようにおっしゃっています。

 「自分の声で話すことはできても、相手の返事が聞こえず表情が見えない状況になって、コミュニケーションとは双方向のものだと理屈抜きに実感した。と同時に、人間にとってコミュニケーションは、空気や水や食べ物と同じように、生きるうえで不可欠なものだと実感した。どれだけ知識や情報があっても、コミュニケーションがなければ、生きるための魂のエネルギーは沸いてこないということがよく分かった。」

 コミュニケーションについて辞書などを調べてみると、その意味はかなり幅広い。単なるメッセージの伝達といった意味でも使われるようですが、一般的には、自分の感情、意思、考えなどを伝え合って、気持ちが通じたとか共感できたと感じれば、コミュニケーションは成立したと言えるでしょう。そういう意味合いにおいて、コミュニケーションは、空気や水や食べ物と同じように生きていくうえでの魂のエネルギーになると先生はおっしゃっています。

 福島先生が、魂のエネルギーが沸いてこないという絶望的な状態から抜け出すことができたのは、翌年、お母さんが偶然思いついた「指点字」のおかげだそうです。指点字とは、両手の人差し指・中指・薬指の計6本の指を点字の6つの点に見立てて、この6本の指で、相手の指や手の甲などに点字を打って言葉を伝えるというものです。実際の映像を見ると、隣にいる指点字通訳者が、福島さんの6本の指にタイプを打つように素早く次々と点字を打つことで、通訳を介しているとは思えないほどのスピードで会話は進んでいます。

 誰でも、人との関係がもとで、悩み、傷つくこともあります。福島先生もそんな経験はいくらでもあるそうですが、それでもやはり、人間同士の深い繋がりによって、生きる力、生きる光が与えられると、先生はおっしゃっています。もちろん、私たちも同じです。
 コミュニケーション能力ということを、色々な所でよく耳にします。話す力、聞く力、人の気持ちを察する力を身に付けることはもちろん大切ですが、それだけでなく、外に開かれた心、無関心で済ましてはおれないというような心を育たい。挨拶1つきちんとできないようでは困るでしょう。福島先生の言われる「コミュニケーションは生きる光」ということを、私たちも毎日の生活の中で、もっと体験的に学んでいくことができればと思います。