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講話

12月5日 朝礼

おはようございます。
 今日は最初に高1の奉仕委員から報告があります。

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 調べてみると、八幡学園の子どもたちを招待してクリスマス会を開いたのは、1964年、創立9年目が最初だったようです。それ以来毎年ずっと行われているのかどうかはよく分かりませんが、おそらく50年近く続いている学院の伝統行事の1つです。今年もまた、子どもたちが喜んでくれるよう、心のこもったクリスマス会を準備してください。

 さて、先週から廊下には、創立記念に因んで「仕えるリーダー」という言葉を掲示しています。みんなもよく知っているように、初代校長のシュワイツェル神父は「他者に仕えるよきリーダーたれ」と生徒に訓辞しました。また後にアルペ神父は、men for others を世界中のイエズス会学校に発信し、「他者に仕え、他者とともに歩むことができるリーダーの育成」を目標に掲げました。
 アルペ神父とシュワイツェル神父は、学院創立前のある時期、長束の修道院で生活をともにし、原爆が投下された後、被爆者の治療や町の復興に奔走しました。そして、二人は「他者に仕えるリーダー」の育成という共通の教育ビジョンを持って、広島学院の創立に尽くされました。
 この「仕えるリーダー」について、先日の創立記念式典で山内神父に話していただくつもりだったのですが、そこまで話が進まないうちに時間がきてしまったようです。山内神父の話は、自分の足元を掘って、壊れることのない本当に価値のあるものを見つけなさいという、いいお話だったと思います。ただし「学校の先生の目は輝いていない」というのは、間違いですね。広島学院の先生は、目を輝かせて一生懸命にやっていますよと、後で伝えておきました。それは冗談ですが、もう一つ、「どうでもいい」というのは、本当に価値のあるものから見れば、山内神父のおっしゃる通りですが、この言葉の使い方は結構難しいと思います。そんなことも含めて、もう少し話の続きを聞きたかったけど、またいずれ機会はあるでしょう。

 ところでリーダーの育成については、イエズス会学校に限らず、今、多くの学校や職場で盛んに言われています。世間一般にどんなリーダーが求められているのか、いくつかの記事を読んでみると、もちろん色々な組織によって求めるリーダー像は異なります。だけど大きな傾向で言うと、一昔前はカリスマ的な、支配者的なリーダーシップを持った1人がトップにいて、力強く組織を引っ張っていく、そんなリーダーが求められることが多かったようです。でも今はそのような一方的な統制型リーダーではなく、共感や信頼を求心力として導くリーダーが求められている時代だそうです。
 そんな中で数年前からよく使われているのが「サーバント・リーダーシップ」という言葉だそうです。奉仕して導いていく、或いは下から支える、そのようなタイプのリーダーシップのことを言います。初代校長の言う「他者に仕えるリーダー」に通じるものがあるようにも思います。
 そして、リーダーシップという言葉を「指導者としての資質、能力、力量」というような意味で考えると、このサーバント・リーダーシップは、いわゆるリーダーの立場になる人だけでなく、みんなが、自分の役割を遂行するために身に付けておくべきものだということも、強調されていました。

 この学校が60年間求めているリーダーシップも、将来、上の立場に立ったときのためにというものではありません。どんな立場であるか関係なく、自分の持てる能力を人のために、特に立場の弱い人のために惜しみなく発揮する、そして、そういう姿に周りの人も共感して自分も続いていこうとする、そんなリーダーシップです。そのために私たちは、自分の持てる能力をできる限り伸ばしていく努力が必要だし、人の役に立つ喜びの体験も大切にしたい。
 もうすぐ期末試験ですが、これも自分の持てる能力を磨く機会です。しっかりと準備をしてください。