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講話

10月30日 朝礼

おはようございます。

 今日10月30日は「マナーの日」だそうです。今では毎日が色々な記念日になっていて、自分にとってはどうでもいいような記念日もたくさんありますが、「マナーの日」といわれると、ちょっと気になります。「日本サービスマナー協会」というNPO法人が設立された日に当たり、接客マナーや電話対応、クレーム対応など、社会人として必要なマナーを身につけようと呼びかけるために定められたのだそうです。
 いつも言うように、マナーとは目の前の相手や周りの人に対する気遣いのことです。もうすぐ学院祭ですが、こういった学校行事に来校されるお客様は、みんなにとっては直接的に或いは間接的にでも関わりのある人です。だから、ほとんどの生徒はお客様のことを意識して、不愉快な思いをさせないように、それなりにきちんと気遣いをしています。
 一方、公共の場では、周りの人と自分は関わりはないという意識が強くなって、その存在があまり見えていないことがあります。だけど本当は、同じ公共の場にいるというだけで、互いに大いに関わがあるのです。それに気付かず迷惑をかけているという外部の方からのお叱りが、いつまでたっても無くなりません。またその話かと思うでしょうが、マナーがなっていないというのは、みっともないことだし、学校としても恥ずかしいことです。どうして度々こんな話をしなければならないのか、みんなもよく考えてもらいたいと思います。

 さて、今週から廊下には「あなた方は世の光である」という聖書の言葉を掲げてもらいます。マタイによるの福音書にある「山上の説教」の中に出てくる言葉です。イエスは、集まってきた夥しい群衆の前で「あなた方は世の光である」と言われました。群衆の中には、貧しい人、病気の人、虐げられた人たちなど、弱い立場にあってあまり元気のない人が大勢いましたが、その全ての人に「あなた方は世の光である」そして「あなた方の光を人々の前に輝かしなさい」と教えられました。
 輝いている人のイメージというと、豊かな才能や能力を持ち、それをいつも存分に発揮して楽しそうに目の前のことに打ち込んでいる、そんな溌剌とした人かもしれません。確かにそんな人は、誰の目にもキラキラと輝いて見えるでしょう。そしてそういう人と比べると、自分はとても輝きそうにないと思う人もいるかもしれません。しかし、群衆に向かって「光になりなさい」というのではなく「あなた方は光である」とイエスが断言された通り、私たちは誰でもみんな、光り輝く可能性を持っていると私は思います。

 みんなも名前はよく知っていると思いますが、昨年の暮れに亡くなったナミュール・ノートルダム修道女会の渡辺和子さん(シスター渡辺)は、ベストセラーになったご自身の著書「置かれた場所で咲きなさい」の中で、「心の爽やかさは、難しさから逃げることなく、『大変だからもうちょっと頑張ってみます』という心意気から生まれる」と言っておられます。この「大変だからもうちょっと頑張ってみます」という言葉は、シスターが学長を務めておられた大学の学生が、シスターに語った言葉だそうです。いい言葉だなと私も思います。
 「大変だけど頑張ってみる」と「大変だから頑張ってみる」とは少し違う。「大変だから」というところに、まっすぐな意志の強さを感じます。そして「もうちょっと頑張ってみる」というのも、変な気負いが全く感じられなくていいなと思います。シスター渡辺は、こう語った学生に心の爽やかさを感じたとおっしゃっていますが、今度の学院祭のテーマでいえば、こんな気持ちで頑張る姿が、周りに人の目に輝いて映るのだと私は思います。そして、こういう心掛けがあれば、誰もが輝くことができるのだと思います。

 いよいよ学院祭です。大変なことも色々とあるでしょうが、そんなときこそ輝きを放つチャンスです。「大変だからもうちょっと頑張ってみます」という殊勝な心がけで取り組み、みんなが輝く学院祭にしていきましょう。