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講話

2学期終業式

今日で2学期が終わります。
 振り返れば、体育祭や文化祭といった大きな学校行事が思い出されますが、どちらも多くの生徒が積極的に取り組み、いいものになりました。特に高2の生徒は、中心学年としてよくやってくれました。
 また先週の金曜、土曜と、中3の生徒は寒い中、一生懸命に街頭募金に立ってくれました。お陰様で、今年も東ティモールやフィリピン、ネパールなどの多くの方に喜んでいただけると思います。
 さらに同じ先週の土曜に、エリザベト音楽大学のホールで、本校とノートルダム清心、エリザベト音大の3校による「クリスマスの集い」がありました。これは、広島にあるカトリック校が一緒になってクリスマスのメッセージを発信しようということで、数年前に始まった行事です。今年は本校からは、高校のブラスバンド部、高2ILのトーンチャイム講座の生徒、ジャグレンジャー、生徒会のメンバーなどが参加してくれました。温かい雰囲気のいいクリスマス会になりました。

 さて、朝礼でも話したように、聖堂の入り口にロサド先生が作られた馬小屋が飾ってあります。クリスマスの馬小屋には一般的には、飼い葉桶に眠る幼子とそれを見守るヨセフとマリア、羊飼いや家畜たち、そして贈り物を持った3人の博士が飾られています。もうすぐクリスマスということで、この3人の博士について少し話をします。

 イエスの誕生の場面は、マタイとルカの福音書に出てきます。そのうち馬小屋のイメージはルカの福音書によるものですが、3人の博士は登場しません。一方マタイの福音書には、馬小屋のイメージはなく飼い葉桶も羊飼いも出てきませんが、「占星術の学者たちが、東の方からエルサレムに来た」とあります。3人とは書いていませんが、これが3人の博士です。占星術の学者は、星の動きを調べて世界の動きを予知する役割を担っており、当時の社会においては高い地位にあるエリートだったでしょう。そして東の方から来た「東」とは、バビロニア地方かペルシア地方か、いずれにしても、この学者たちは、ユダヤの人々から見たら異国の人であり、異教徒であったと思われます。
 マタイの福音によれば、彼らは星の動きを見て、何百年も前のユダヤ教の預言者の言葉にあった「救い主の誕生」を知り、はるばるエルサレムまで来て、ヘロデ王に救い主の誕生について確かめます。ヘロデは残虐で悪名の高い王様ですが、ヘロデ王についてはまたの機会に話します。
 学者たちはヘロデ王と別れ、星に導かれてベツレヘムの幼子のもとへ行きました。そして、ひれ伏して拝み、黄金と乳香と没薬を贈り物として奉げます。黄金は王様の象徴。乳香は、祭司が礼拝をするときに祭壇で焚く高価な香料で、神と人間をとりなすものの象徴。没薬は、死者の体に防腐剤として塗る薬で、受難と復活の象徴です。このようにこの3つは、イエスが何のために生まれてきたかを表した贈り物でした。

 このようなマタイが描く出来事が実際にあったことかどうかはともかく、この物語には、私たちにも通じる大切なメッセージが含まれていると思います。
 おそらくこの学者たちは、学者としての地位や名誉を得ていたし、高価な宝物を贈ることができるほどの富も持っていましたが、それでも「救い主の誕生」を心のどこかでずっと期待していました。占星術で観測する星とは違う、生きていくための確かな光を求めていたのでしょう。そして、優れた知性や感性も持っていたので、あるとき、星の動きの中に「救い主の誕生」のしるしを見つけ、すぐに自分の目で確かめに行って幼子と出会い、謙虚な気持ちでひれ伏して拝みました。
 クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う日のことですが、イエスの誕生というのは、私たちにとっては遠い国の出来事で、自分にとっては異教徒の出来事だという人も多いでしょう。そういう意味では、私たちはこの学者たちと同じ立場であると言えるかもしれません。
 学者たちは、地位や名誉や富ではない、本当に大切なものを見つけるために、知性や感性をいつも磨いていたのでしょう。そして、そのしるしを見逃さず、その声に謙虚に耳を傾ける心の準備をいつもしていたのでしょう。クリスマスを迎え、馬小屋に飾られているそんな博士たちにも、思いを馳せてみてはどうかと思います。

 24日、3時からアルペ講堂で、カト研のクリスマス会があります。そして5時30分頃から前庭でキャンドルサービスがあり、その後、聖堂でクリスマスのミサがあります。生徒はもちろん、ご家族でも近所の方でもどなたに来ていただいてもかまいませんので、ぜひ皆さんで来てください。
 そして、クリスマスが終わったらすぐにお正月です。
 新しい年がみんなにとっていい年になるよう、祈っています。