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講話

3学期始業式

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
 昨日は一日中雨が降りました。今日も少し荒れ模様ですが、年末年始は比較的穏やかな天候に恵まれ、みんなそれぞれに、良い時間を過ごしたことと思います。

 さて、ローマ教皇フランシスコが、カトリック教会が「世界平和の日」と定める1月1日に合わせて、原爆が投下された直後に長崎で撮影された少年の写真を印刷したカードを教会関係者に配るように指示をしたというニュースが、正月に報道されました。この写真は、みんなもどこかで見たことがあると思います。アメリカの従軍カメラマンが、終戦後間もなく、長崎の浦上川近くにある火葬場で撮影した写真です。3日の新聞にも載っていました。原爆で亡くなった幼い弟を背負い紐で背負い、まっすぐ前を見て背筋を伸ばし、気を付けの姿勢で弟を火葬する順番が来るのを待っている少年を撮った写真です。10歳ぐらいの丸刈りで素足の少年です。フランシスコ教皇は、このカードに「これが戦争の結末だ」というメッセージを記し、ご自身のサインを添えておられます。

 このカメラマンをかつて取材したジャーナリストの記事を少し紹介すると、「この少年は、火葬の順番が来るまでずっと直立不動の姿勢で待ち続け、その後、2人の男が背負っている弟を背中から外し、そっと炎の中に置いた。その間も少年は背筋を伸ばし、唇を噛み締めて立ち続けていた。そしてすべてが終わると、少年は何も言わずその場を立ち去った」ということです。
 そして「人間は、極限状態に置かれたとき、無意識にそれまで育ってきた環境や体験で培った行動を取るといわれている。戦争への協力が何よりも優先された当時の社会で育った少年が、この場においても学校や家庭で教えられた通りの姿勢をとり続けたのかもしれない」とのことです。
 確かに、この状況の中で、泣きもせず動揺も見せず、直立不動で立っているこの少年の姿そのものもまた、教皇の言われる「戦争の結末」です。そして、この少年のような悲しみの極限に追い込まれた子どもたちが、今も世界の紛争地で苦しんでいるというのが現実です。

 新年のおめでたい場にはあまり相応しくない話題かもしれませんが、去年一年、戦争に対してかなり身近に恐怖を感じるようになりました。私は第2次大戦が終わって10年余り経って生まれましたが、60年間、自分の身に戦争の危機を感じることは一度もありませんでした。しかしこの一年で、状況が随分変わりました。
 みんなもよく知っているように、北朝鮮が核とミサイルの開発を続け、それを巡って米朝間で挑発の応酬が繰り返されています。つい先日も、キム委員長が「核のボタンは、私の執務室の机に常に置かれている」と言えば、トランプ大統領は「私の机には、もっと大きくてパワフルな核のボタンが置いてある」とやり返しました。「核のボタン」でなかったら、ただの子どもの喧嘩にも聞こえますが、この2人は本当にそんなレベルの判断で核のボタンを押すかもしれないという大きな不安と恐怖があります。そういう不安や恐怖を感じさせるのが、彼らの政治の手法なのでしょう。オリンピックに向けて対話が始まるかもしれないという報道もあり、いい方向に進むよう願うばかりです。

 年末の天声人語に、宮沢喜一という政治家について書かれていました。宮沢喜一は、総理大臣をはじめ多くの要職を務めましたが、折に触れ「君たち、何があっても戦争だけはしてはいけない」と部下の役人たちに語っていたそうです。20年ほど前の、日本が戦争に巻き込まれるかもしれないという不安をほとんど誰も持っていなかったような時代のことです。今の日本の政治家たちも同じように「何があっても戦争だけはしてはいけない」という強い信念を持っていると期待したいが、どうなのでしょうか。実際に戦争が起こればどうなるか、まして核戦争が起これば、どれほど悲惨なことになるのか、誰でも容易に想像できるはずなのですが。
 私たちは「何があっても戦争をしてはいけない」という信念を持ち続けなければいけない。年の初めに当たり、フランシスコ教皇のメッセージと合わせて、このことをあらためて強調しておきたいと思います。

 今年は戌年。戌年のイヌは、勤勉で努力家という意味があるのだそうです。この一年に限ることではありませんが、私たちは、自分に対しても、周りの人に対しても、本当に大切なことのための勤勉な努力を素直に尊ぶ集団でありたいと思います。互いにいい一年にしていきましょう。