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講話

2月10日 朝礼

おはようございます。
 廊下には1か月近く「Age Quod Agis」というラテン語の言葉を掲げてもらっています。前に言ったように「するべきことを、するべきときに、勇気をもって実行する」という意味です。そのときの朝礼で、Age Quod Agisの生き方を貫いた人ということで中村哲さんの話をしましたが、今朝ももう少し中村さんの話をしたいと思います。

 中村さんがパキスタンに医療活動に行くことになったきっかけについて、ご自身が語っておられることを紹介すると、中村さんは子どもの頃から昆虫が好きで、珍しい昆虫を見たいという思いで、医師になってすぐに、ある山岳会のパキスタン遠征に医師として同行しました。ところが行った先で、貧しくて普段十分な医療を受けられない大勢の現地の人たちが、日本からお医者さんが来たと聞きつけ、すがる思いで治療を頼みに来た。だけど持ってきた医薬品は登山隊のために取っておかなければならず、治療を懇願する現地の人の求めに応じることができなかった。それがずっと心残りだったそうです。その経験から中村さんは、海外医療協力隊のメンバーとして現地に戻る決心をし、数年後に実際にパキスタンに渡ったのだそうです。そして協力隊としての任期が終わった後も、独立して現地で活動を続ける道を選んだとのことです。

 中村さんは、このようにパキスタンやアフガニスタンで活動しようとするご自身の気持ちについて聞かれたときに、「義を見てせざるは勇なきなり」という論語の言葉を引用して答えておられます。義とは、正義、正しい行いのこと、勇は勇気。「人として当然行うべき正しいことと知りながら、それを実行しないのは、本当の勇気がないからである」といった意味です。「正しいと思ったことは、勇気を持って行動に移しなさい」と背中を押してくれる言葉です。
 勇気とは「恐れないで向かっていく強い気力」と辞書にありますが、ここでは、不安や恐怖に対してだけでなく、やりたくないという気持ちや恥ずかしいという思いにも打ち勝つ強い気力といった意味で考えればいいと思います。
 廊下に掲示しているAge Quod Agisは、「何が正義かを知り、何をなすべきかを考えて、自分の責任で判断し、勇気をもって実行する人間になってもらいたい」という願いが込められた言葉です。何が正義かを知り、何をなすべきかを考えて、自分の責任で判断し、勇気をもって実行する、これは、中村さんが仰った「義を見てせざるは勇なきなり」に通じるものがあります。

 もう1つ中村哲さんに関する話ですが、実は2010年の本校の文化祭に中村さんを講師としてお招きし、講演をしていただきました。当時私は別の仕事があって、残念ながら講演を聴くことができませんでしたが、後日、高3の生徒たち(50期生)に、「あんなにいい話を聴かなかったなんて、勿体ない。絶対に聴くべきでしたよ」と言われました。中村さんがどのような話をされたか多少は想像がつきますが、中村さんの講演を聴いて、高3の生徒たちが口を揃えて「いい話だった」と言ったことに私は感動しました。本当にいい話だったのでしょう。
 それはさておき、別の学校での中村さんの講演の記録がネットにありました。それによると、その学校で生徒たちに「お金があれば幸せになれるという迷信、武力で平和は守れるという迷信に惑わされないでほしい。本当に人間にとって大切なものは何なのか、大切でないものは何なのかを考えてほしい」と呼び掛けられました。

 アフガニスタンでこの数十年、どんなことが起こってどんな状況になっているのか、みんなもよく勉強してもらいたいと思いますが、今も各地で武装勢力が割拠し、治安は最悪で、混乱状態は続いているようです。首都カブールなどでは、国外からの援助で潤った政治家や商人など一部の人たちが贅沢な暮らしをしている一方で、餓死者や凍死者が大勢いるという現実もあるそうです。アメリカや旧ソ連をはじめとする軍事力による平和の構築は全く実現できないでいるし、国外からの援助も本当に必要なところには回っていないのかもしれません。それに対して、武器も潤沢な資金も持たない中村さんたちの活動によって、十何万人もの人々が、家族が一緒に暮らし食べていけるという当たり前の生活を取り戻しました。
 その中村さんが仰っているだけに、「お金があれば幸せになれるという迷信、武力で平和は守れるという迷信に惑わされないでほしい」という言葉に重みを感じます。私たちもこの迷信に惑わされてはいけない。そして「本当に人間にとって大切なものは何なのか、大切でないものは何なのか」を考えないといけない。「義を見てせざるは勇なきなり」と合わせて、心に留めておきたいと思います。