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講話

3学期終業式

 63期生の皆さん、中学卒業おめでとう。
 今日君たちは、広島学院中学校卒業と同時に、9年間の義務教育課程の修了という大きな節目を迎えました。4月からは自分の意志で、自分で希望をして、高校生活を始めることになります。中学生から高校生へ、ただ呼び方が変わるだけでなく、勉強やクラブ、その他の行事や活動に今まで以上に積極的に取り組み、自分をより高める者へと変わっていかなければなりません。そのことをよく自覚し、次への決意を新たにして今日の卒業証書を受け取ってください。

 さて、2011年3月11日の東日本大震災の発生から10年が経ちました。このところテレビや新聞等で震災に関連した報道がたくさんあり、みんなもそれを見聞きしていることと思いますが、私からも特に原発事故のことについて、少し話をしておきたいと思います。
 福島第一原発では、毎日4000人の作業員が、放射線管理に加えてコロナ対策も取りながら、廃炉に向けた作業を進めています。ただ、今の技術ではまだまだ乗り超えられない難しい課題も多いようで、廃炉への工程はかなり遅れています。燃料デブリの全貌もよく分かっていないし、膨大な量になる放射性廃棄物の処理をどうするかも決まらず、当初の予定通りあと30年で廃炉が完了する可能性は低いと見る専門家は多いようです。そのうえ、廃炉が完了した後、今の原発の敷地を再利用できるようになるまでさらに最短でも100年はかかるとのことで、原発事故の後始末がいかに大変であるかが分かります。

 この事故が起こった当時、現場に留まって原子炉の暴走を食い止めようと懸命に作業をした人たちがいました。この人たちと東京の東電本店との事故対応をめぐる緊迫したテレビ会議の様子が、当時テレビで放映されました。私はそれを見て、現場の人たちの強い使命感と気迫を頼もしく感じました。欧米のメディアは、後にこの現場に留まった人たちのことを、”Fukushima fifty”と呼んで称えました。実際には69人いたそうですが、この作業員たちの闘いは、「Fukushima 50」という映画にもなりました。
 私はこの映画を見ていないので中身はよく知りませんが、実際にこのとき、放射性物質が大量に放出されてしまうと、最悪の場合、北は岩手県盛岡市から南は神奈川県横浜市まで半径250km圏内が汚染され、3000万人が避難を強いられる恐れがあったそうです。現場の作業員たちは、そんな東日本壊滅の危機が迫っていることをよく理解していました。だから危険な現場に留まり、死を覚悟しながら建屋に入って、危機を回避するための作業を続けました。
 結果的にそこまでの事態にはならなかったのは、もちろんこの現場の方々の命がけの闘いがあったからですが、実は同時に、人の力の及ばない幾つかの偶然が重なったことにもよる公算が大きいという分析結果が、後に出されました。原子炉の暴走は、人の手にはとても負えないということです。

 こうして東日本壊滅は避けられたものの、実際に福島では15万人を超える方々が避難を余儀なくされました。そして今でも原発周辺の町は当時のままの状態で、3万6千人を超える人が避難生活を続けています。事故から10年経ってもなおこのように、苦しい思いや辛い思いを強いられている方々がたくさんおられる一方で、多くの人にとっては一昔前のことになりつつあります。そうやって風化していくことが、同じ過ちを繰り返すリスクを高めます。
 10年前というと、高2の生徒でもまだ小学1年生の時ということで、当時のことはあまり覚えていないかもしれません。だけど教訓を生かすために、どういったことが起こったのか、そしてどうなったのか、本当のことを知る努力をこれからもしていかなければなりません。時間が経ってから分かってくることもあります。そういったことについても、知ろうとしなければなりません。それが私たちの務めです。東日本大震災から10年目を迎え、そのことをあらためてよく心に留めておきたいと思います。

 最後になりますが、2020年度が終わります。コロナの対応に追われた異例ずくめの1年でしたが、コロナ対策はまだ1年は必要だと言われています。その点は覚悟しつつも、学年が1つ上がったらどんなことがしたいのか、どんな自分になりたいのかをよく考えてもらいたい。そして、希望や期待を抱いて新年度を迎えたいものです。そうなるよう、春休みの間に頭も心も体もしっかりと準備をしておいてください。