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20260901 2学期始業式 「痛みを想像する」 

いよいよ今日から2学期が始まります。年々厳しさを増すこの夏の暑さの中で、立派な頑張りを見せてくれた学院生がたくさんいたことを、心から嬉しく、頼もしく思っています。 

さて、私はお盆休みを利用して、熊本県宇城市のボランティアセンターで5日間のお手伝いをしてきました。私が現地を訪れたのは地震から2週間が経過した頃でしたが、当時、震度7を記録した宇城市ではまだ断水が続いている家も多く、避難所では多くの方々が厳しい生活を送っておられました。私がお手伝いしたのは、主にがれきや瓦の処理、大きな家財道具の運び出しです。各地から集まるボランティアとチームを組みますが、酷暑の中、15分作業をして10分休憩、というペースでことにあたるのが精一杯という環境でした。 

ボランティアセンターで最初に受けたガイダンスで、私はハッとさせられる言葉を聞きました。 

「家財道具の整理などをする際は、絶対にはなから『このゴミはどうしますか?』と家主さんに聞かないでください。皆さんにとってゴミに見えるものでも、家主さんにとってはかけがえのない思い出の詰まったものかもしれません。『この割れてしまった写真立て、どのようにしましょうか?』などと、言葉にご配慮をお願いします」  

向き合うのは「モノ」ではなく、その方の「人生」なのだと気づかされた瞬間でした。 

ある日は、10名の大所帯で、美容師を営んでおられたお年寄りの女性のお宅へ伺いました。ご自宅の基礎部分が大きく傷んでおり、庭やガレージを使って家財道具の仕分けを行いました。家主である80代のお父さんは、とても陽気で、笑顔を絶やさない方でした。 奥様の美容師現役時代の仕事道具や、立派なカラオケセットなどが次々と運び出されていくたびに、お父さんは、それらを嬉しそうに一つ一つ解説してくださいました。  

「ずっと、妻は僕の髪の毛も毎回整えてくれていたんです。まあ、年々、髪の毛を切る必要もなくなっていったんですけどね」  

「昭和の時代は、ここらの地区ではこのカラオケセットが珍しくてね。近所中を集めて、うちでよくカラオケ大会を開いたものでしたよ」 

もう二度と使うことはないであろう道具たち。それは不用品どころか、ガイダンスでのお話通り、大切な人との思い出が凝縮された宝物でした。災害によってそれを廃棄せざるを得ない…なんとも胸が痛む光景でした。それでも、このお父さんは笑顔を絶やしませんでした。きっと、どんな困難な時でも、このお父さんの笑顔に家族は救われてきたのだろうと、深く心を打たれました。 

終日、瓦を袋詰めする作業の日もありました。瓦の一つ一つは想像以上に重く、私にとってはきつい仕事でした。そこで共に汗を流したのが、鹿児島から来た高校2年生のハヤト君と彼のお父さんでした。ハヤト君はちょうど皆さんの同世代です。お父さんは「当たり前のことが当たり前ではないことを、ボランティアを通じて学んでほしい」と親子で参加されていました。炎天下のもと、てきぱきとさわやかに動くそのお父さん、息子さんの姿、志に、何とも頭が下がりました。 

真夏の被災。蒸し暑い体育館での生活、トイレで水を流せないストレス、偏ってしまう栄養。同じ日本に住んでいながら、自分の意志とは全く関係のないところで、厳しい生活を余儀なくされている方々が今も大勢おられます。 

マタイによる福音書に、このような言葉があります。  

「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25:40) 

ここでいう「最も小さい者」とは、社会の中で困難に直面し、助けを必要としている人々のことです。イエスは、私たちがそのような人々に差し伸べる手は、神様ご自身に向けられた最も尊い行いであると教えておられます。 

平和で恵まれた日常を享受している私たちが、見知らぬ場所で苦難にある人々に心を砕き、想像力を働かせる…なかなかに難しいことです。遠く広島にあって、私たちが直接できることは限られているかもしれません。しかし、皆さんにはどこかで、熊本や千葉、チベットの自然災害で途方に暮れている方々と心はつながっていてほしい。他者の痛みを自分のことのように想像できる、そういう人間であってほしいと願っています。 

今日、こうして無事に2学期の始業式を迎えられました。クーラーの効いた部屋で過ごせること、蛇口をひねれば水が出ること。この当たり前の日常に感謝する心を忘れないでください。そして、その感謝を胸に、充実した2学期を共に創っていきましょう。