おはようございます。今朝は皆さんに、一つ想像してみてほしいことから始めます。
もし自分が、災害で崩れた建物の下敷きになり、身動きが取れなくなったとします。そこに二人の若者が通りかかりました。
一人は、全国模試で常にトップクラスの、非常に優秀で論理的な若者です。彼は建物の状態を瞬時に分析し、「二次崩落の確率が80%以上ある。素人の自分が下手に手を出せば共倒れになるリスクが高く、非合理的だ」と計算しました。極限状態において自分の命を守るための冷静な判断であり、この行動自体を責めることは誰にもできません。彼は合理的な判断に従い、安全な場所へ退避しました。
もう一人の若者も、学校の成績はごく普通ですが、同じように「自分が飛び込むのは危険だ」と正しく判断し、安全な距離を取りました。しかし、彼はその場を立ち去ることはありませんでした。すぐに消防に通報し、安全な場所から「大丈夫ですか、今助けを呼びましたよ!」と声をかけ続け、あなたの意識を繋ぎ止めました。そして到着したレスキュー隊に、正確な場所と状況を必死に伝えたのです。
さて、絶望の淵にいるあなたにとって、真に「隣人」であったのはどちらだったでしょうか。知識や計算力は間違いなく素晴らしい能力です。しかし、それが「他者のためにどう使われるか」という視点が伴わなければ、本当の意味で人に寄り添うことはできない、私はそう思います。
ここ数日、インターネット上である騒動が起きています。ある動画番組の出演者が、特定の大学の入学偏差値を取り上げ、カメラの前で揶揄して笑い者にしたのです。これに対して当該大学の学長が正式に抗議声明を出す事態となり、社会的に大きく炎上しました。私はこのニュースを見て、偏差値という一つの物差しだけで人の価値や学びの尊さを嘲笑する姿勢に、強い違和感と悲しみを覚えました。
もちろん、皆さんには自分の進む道においてベストな選択をしてほしいと願っています。それが結果的に、皆さんが進学を切望する大学・学部・学科であるならば、私たち教員は全力で皆さんをサポートし、応援します。しかし、広島学院は「〇〇大学に何名合格」といった数字を、学校の最終目標や第一義の目的になどしていません。大学合格は、あくまで皆さんが抱く思いや目標に対して努力を積み重ねた結果であり、長い人生を豊かに生きるための「有用な手段」として活用してほしい、と私たちは願っています。
イエズス会では、「For others, with others」のために必要な具体的な4つのポイントとしてCompassion(思いやり・共感)、Conscience(良心)、Competence(能力、有能さ)、Commitment(献身・責任)を「4C’s」として、大切にしています。このうちCompetence(能力、有能さ)」とは、自分の偏差値を自分の心を満たすためにあげる能力を示すことばではありません。「将来、自分以外の誰かを助け、社会を良くするための武器」として、日々の勉強や部活で自分を鍛えることを示します。
学年が上がり、高校生になればなるほど、目の前の模試の判定や進路に対してシビアになり、視野が狭くなってしまう時期があるでしょう。しかし、そんな時こそ、「瓦礫の下の想像」を思い出してください。皆さんが今、必死にペンを握り、公式を暗記し、部活で汗を流して手に入れようとしている知識や力は、将来誰を助けるための武器になるのでしょうか。
偏差値の優劣で人を判断するような狭い価値観に囚われるのではなく、自らの力を他者のために使うという広い視座を持ち続けられる学院生であってほしい。そして、卒業後もその志を胸に抱き続ける大人になってほしいと願っています。